政治・経済・社会
(財)さわやか福祉財団ホームページへ
 
JANJAN映像メッセージ 発言概要
堀田力の新しいふれあい社会づくり
(2005年12月22日撮影)
No.8 年明けに思う
●どんな年になるでしょう?
  2006年ほどむずかしい年はないと思う。今までは大きな社会の流れ、世界的な潮流、それから日本における潮流それぞれがあって、もちろんいろんな流れがたくさんあるが、大きな流れとしては今こちらに向かっていけばいいというものが見えていたし、何とか頑張ってそちらに流れていくだろうということが予測できたし、その予測に立ってどういうことをすればいいということも言えた。

  しかし、2006年は世界的な潮流としても、それが大きな世界主義、人類主義といったかたちで平和、そして戦争をなくす、経済的な交流を深めて政治的にはそれぞれの国の実情に応じて民主主義の方に向かって歩を進めるという、これが大きな流れで、そこに反する方に全体の流れが流れ出すおそれというのはまずは今まではなかったのが、2006年はいったいどうなるのか。

  ブッシュさんがイラク戦争を始めた。戦争をやることがいいか悪いかはいろいろな立場で議論があるし、私はいいと思わないが、ブッシュさんとしてもこの戦争は、最終的には平和を目的としており、自由主義、民主主義を世界に及ぼすことを目的としていると言い切っている、彼は彼でそう信じてやった、その考え自体には間違いはなかったと思うが、2006年になって一体彼がその旗印をどういう形で実現するのか、そして、それを、彼の言っていた抽象的には正しい理念を現実にどういう政治手法、外交手法でやっていこうとするのか。

  これは見えてこないし、ほかの国もまたその方向に進めるためにどう対応すればいいのかが見えていない。だから下手をすると、行き先わからずに、ナショナリズム、エゴイズムが出てしまって、分裂する方向に流れが混迷するというか、わからなくなる、そういう危険性が感じられる状況だ。

  国内でいっても改革、これはまあずっと1990年代に入ってから改革、改革でやってきていた、国民も細川さんの日本新党を支持したときも改革を支持したし、いろいろあって、今度小泉さんを支持したのも改革を支持した。その改革とは活力、政官財の仕組みを壊して活力を見いだそうという、その流れ自体は正しかったと思うが。小泉さんはまず確実に退くと思うが、さて退いた後にそれでは改革を進めるのか進めないのか、進めるとしてどっちの方向に進めるのか。

  それは何のためなのか、今まで改革を言ってきた民の活力というのを今後も維持するのかしないのか、したらどんなプラスがあるのか、そういう一番基本的なことについてすら合意ができていないし、流れも出てきていない。こういう状況の中で小泉さんが退いてしまうと、やっぱりその旧来の改革に反するいろんな権力、財力、社会力を持った人たちが、当然流れがなければ自分たちが復活するという方向に向けて本能的というか、当然の原理として生き返ってくる。すると、10数年にわたって改革、改革、改革ときたのが何だったのかということにもなりかねない。そちらに逆流する可能性も十分にある。そういう点で2006年というのは、非常に旗印というか、流れる方向が見えてこない、大変にむずかしい年ではなかろうかというふうに感じる。

●決め手となるものは?

  いつの時代も歴史の表舞台というかたちでは見えないが、そのときどきの国民、住民、昔は市民までいっていないが、最近は市民がどちらの方向に動くかという、最終的にはそこで決まると思うが、いつも市民はその大きな政治の仕組み、あるいは経済のありかたなどが前に向いて、市民生活の充実、安全に沿っているときはその中で大いに活躍するが、必ずどこかで行き詰まって足かせになってくる。そうするとこれを打ち破る方向で動く、革命があったり混乱があったりして社会がまた新しい段階で進む。これは歴史が繰り返してきた進歩のルールだと思うが、いままで市民は1990年代、2000年代に入ってそういう方向に確実に動いてきているが、ここに来て足踏みしているというか、迷っているというか。

  世界的にいっても、ヨーロッパとアメリカで随分市民のレベル、意識は違うと思うが、ヨーロッパの方も大融合、そしてEUの拡大、やがてはそれが地球規模で広がっていくというその理念を持ってきたが、ここへ来てちょっとしんどいよねと、足踏みをしだした。ヨーロッパが足踏みしだしている。アメリカは建国以来、自由、民主の旗印で進んできたのが、9・11でやられて、これはわれわれの予想外にみんなびっくりした。そして、あなたがたのいう民主主義、自由とはそんなにひ弱なのと、いろいろな事態を経験した日本、ヨーロッパからするとびっくりするほど本当に子どもだなと思うほどに縮み上がってしまって、いろんな統制、自由、民主に反するいろんな仕組み、国内政治、国際政治でもそれを容認して、すっかり色あせてしまって、ブッシュさんが混迷しても本来なら市民が待ちなさいと、われわれが望んでいるのはそっちじゃないよと、イラク戦争ではないよと、そんなひどいことではないよと、当然大きな声であがるところがあがってきていない。アメリカの国民はいろんな経験が足りないということで縮み上がっている。やっぱりそれが足踏みにつながって、次の一歩をどっちに踏み出していいか、迷いにつながっている。

  日本はもう…まあ改革疲れだ。古い体制を打ち破って自由闊達にやれる明るい社会になるとそう信じてかなり我慢してついてきたが、ばさっと手術せずに、ちょびちょびちょびちょびの手術で、しかも大きな旗印のない手術だから。少しも良くなったという感じがしていない。こちらに行けば確実にいずれは明るくなるのだということについて、まあ夢、そういう希望が揺らぎだしてきている。当然古い勢力も回復してくるし、それをおかしいと攻める力ももうひとつ湧いてこない。やっぱり足踏みなのだ。

  一番歴史をひっぱる原動力の市民がヨーロッパでもアメリカでも日本でも足踏みしているし、発展途上国は経済的に伸びることに一生懸命だから、これは進む方向は一致しているが、いかんせん世界を引っ張る力はない。だから、そういう意味で一番原動力になる決め手の市民が混迷しているというところで、なにが決め手になるかというと、決め手になるセクターが出てこないという状況だとわたしは思う。

●ロッキード事件から30年ですね?

  ああ、もうそうなりますね。30年になりますかね。もう大昔という感じでしょうね…。

(インタビュアー(文責)/ジャーナリスト・元朝日新聞論説委員 大和 修)
バックナンバー   一覧へ
 [日付は更新日]
2005年12月17日 No.7 改革を阻むもの
2005年12月16日 No.6 「子どもと共に生きよう(3)」
2005年12月13日 No.5 「子どもと共に生きよう(2)」
2005年12月13日 No.4 「子どもと共に生きよう(1)」
  このページの先頭へ
堀田ドットネット サイトマップ トップページへ