私の青春は初恋に始まる。
十四歳、京都の下町にある郁文中学の二年生であった。
雷に打たれた、という印象である。雷のように私をしびれさせたのは、彼女の手であった。その手は、学芸会に備えて、「ウォーテルローの戦い」を弾いていた。
戦争に敗れて三年目の秋、食べるものとてままならず、闇(やみ)屋が横行し、生活も人の心も荒れていたころである。家にピアノを持ち、これを習い、優雅に弾くゆとりのある人というのは、イガグリ頭の貧乏少年にとっては、別世界のみやびの人であった。私を打ったその白く、たおやかな手は、だから、洗練された文化の粋と写ったのかも知れない。
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実は、彼女とは、それより三月ばかり前から、同じ理科クラブに属していて、放課後は、ほとんど毎日のように顔を合わせていた仲である。
学芸会で展示すべく、私たち生物斑はパブロフの法則を確認する実験に挑戦していたが、かわいそうな兎をあたら無駄死にさせてしまったし、彼女の方は、エーテルだか何だか、香りのよい液体をつくろうとしていたが、どれもこれも、くさりかけた酢のような匂いのものしか出来てこなかった。
そういう実験の過程で、話もいろいろ交わしたに違いないのだが、日記をくっても、ただ、「頭がよくて、話がおもしろい人」と一言あるだけで、関心を示していない。
仏具店のお嬢さんである彼女がピアノを弾くと知ったのは学芸会の前日で、一瞬にして恋というものを知った私は、クラブの狭い部室で、彼女が現れるのを待った。待つというのが切ないということを初めて知った。
彼女が友達と一緒にクラブに現れたのは、学芸会が終わったあとである。
彼女は、光りかがやいて見えた。しかし、彼女の方は、私の変化に気付かず、友達と楽しそうに話している。そして、どうしたことか、私の口は金縛りにあって、あふれる思いを、一言も言葉に出来ず、その日をもって、理科クラブは活動を停止したのである。
スタンダールの恋愛論にあるクリスタリザシオン(結晶作用)というのを、身体で理解したような気がした。はかない想いでいると、暮れなずむ空のほのかな青や、ふとした風の運ぶ匂いなどといった、ワンパク少年時代にはおよそ意味を持たなかった自然のたたずまいが、心にしみた。それまでに読み、頭でしかわかっていなかった数々の文学作品や、百人一首その他の詩歌の世界が、自分のものとなった気がした。
私を誘う悪友に連れられて、夜、はじめて彼女の家の前を通り過ぎた時の、胸のはりさけるような、罪人のような気持は、今も忘れられない。校舎ですれ違う時も、まともに顔を見ることが出来なかった。苦しかったのであろう、中学卒業時につくった詩には、その頃を回顧して、「魂が凍りついて張裂けるような気持で、黙って愛していた」とうたっている。
結晶した思いで、私は、どういうわけか、彼女は、一日にビスケットを二、三枚しか食べない人だと勝手に決めつけていた。
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十五歳、三年生の春、理科クラブの活動が再開されることとなり、私は、再び彼女と毎放課後話すようになった。もう有頂天で、実験どころか、指導の先生もほかのクラブ員たちも一切眼中になく、彼女とばかり話していた。そして、私は、彼女が、買い食いもすればトイレにも行く人だということを知るのである。心のすべてをとらえていた結晶は溶解し、彼女は、友達となった。
もののあわれや自然の優しさを教えてくれ、愛するということ、生きるということなど、人生と社会についてつきつめて考えさせてくれた彼女とは、いまも、ほんの時おり、逢う機会がある。彼女は、私が高校時代に得た親友の妻となったのである。
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