「男女間には友情は成り立つか」というのが、堀川高校討論大会の決勝戦のテーマであった。各クラスで選ばれた男女四人がチームを組み、与えられたテーマにつきクジで決まった肯定組と否定組とが、一定時間討論をする。その優劣を、先生、生徒混成の審判団が判定するのである。テーマを決めるのも、先生、生徒混成の運営委員会で、政治的なものから社会的なものまで、バラエティー豊かであった。
わが二年一組チームは、三年生のクラスを破ったりして、決勝戦まで進んだ。テーマは前日までにわかるので、選手が集まり、肯定論と否定論とを組み立て、それぞれの論理の弱点を突く論旨を考える。このテーマについても、もちろんそういう準備はしたのだが、女性選手が二人とも友情以外の感情を持ちにくいタイプなものだから、なんとなく否定論がピンと来ないまま当日となった。
そして、クジで引いたのが否定側である。その場の思いつきで、「男と女のつきあいには邪心が入るから、友情の方は育たない」と言ったら、会場でゲラゲラ笑うやつがいて、気合が入らないままに負けてしまった。
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日記によると、三年生の時は優勝、そして、二年生の時と三年生の時、個人賞一位だったとあるから、頑張って討論したらしい。実際、こういうディベートの訓練は、特に法律家には必要で、慶應義塾大学法学部の客員教授となってから、大学院の授業はもっぱらこの方式でやった。国会では主観的、感情的、非論理的な質疑が少なくないが、総じて日本人は、冷静に建設的議論をする訓練が必要だと思っている。
私は体育祭の方はさっぱり駄目で、もっぱら文化祭で活躍していた。一年生、二年生と演劇コンクールには、自作自演で参加している。この一年の時の劇のグループが、いまだに続いている親友仲間となるのであるが、劇自体の筋は思い出せない。
「なんか、天国で人を殺す話やったなァ。お沢(主演の美人)が首絞められて、えらい元気のええ声で『苦しい!』と叫んだら、みんな笑いよったで」。「おミヨさん(同じく準主演の美人)が天国のヒモを踏んで倒してしもたなァ。見にきてた子供が、『あ、コケタ』言うから、大笑いになってしもた」など、仲間が覚えている話はまことに断片的だが、天国があったり殺人があったり、これはドタバタ喜劇だったのか、深刻な罪と罰の悲劇だったのか、作者の主観的意図は後者、上演した結果は前者であったような気がする。
演劇熱は京大に入ってからも続いていて、一年生の時、またもや自作自演の劇を宇治分校の文化祭に上程した。タイトルは「真赤視病」、マッカシ病という。当時アメリカにマッカーシーという議員がいて、ソ連を警戒するあまり、国内のアカ狩りに血道を上げた。それを皮肉った知性豊かな(?)風刺劇である。
シナリオができ、男優は簡単にそろったものの、女優がいない。法学部の同級生には三人の女性がおられたが、三人ともに出演をお願い出来る雰囲気の方ではない。文学部に手をひろげて、華やかなスター性をそなえた芦屋のお嬢さんに出演をお願いした。
素人ばかりでワイワイガヤガヤと練習していると、玄人顔した演劇部の男がやってきて、スタニスラフスキー理論でやるべきだと言う。「それはどんな理論や」というと、とうとう論じはじめて止まらない。「要するに演じる人物になり切れということやな」と言うと、わき役で売春婦をやる女子学生が、「私、なり切るのはいや」という。
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上演の日が来たが、舞台装置に手間どって、開演時間が、四十分ほど遅れた。見にきてくれた同志社の友達が、「京大生って辛抱強いねぇ。あれだけ待って、あれを最後まで見るなんて」と言った。
以後、演劇とは縁がない。
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