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定期連載 青春の道標
更新日:2005年9月16日
1000円で当てなき旅 学生2人、大人ぶる

 大学に入ると、まだ身体にまとわりついていた卵の殻の破片が完全にはがれ落ちたような気がした。
 京都の町は、学生を大切にしてくれる。
 手始めにたばこを覚え、居酒屋を覚え、祇園あたりに出没し、一挙に大人になった気分である。

* * *

 「千円で旅行に行こう」と、同志社に入った友達を誘った。行き先を言わないと親が許してくれないという彼を説き伏せて、気の向くままに汽車に乗り、千円で行けるところまで行くという旅に出た。
 乗ったのは、山陽本線鈍行列車。九州に千香子さんという恋人を残して京大に入った友達が、「九州に行く汽車は、チカチャン、チカチャンと言いながら走る」というので山陽本線を選んだのであるが、私たちの乗った汽車は、もちろん、そんなことは言わない。
 蒸気機関車の引っ張るハコ型の汽車にゆられて西に向かい、まずは倉敷で下車。二十円の素うどんをすすってへ、街のたたずまいを楽しみ、来合わせたバスに乗ってゆられていると、海に出た。
 春の光にきらめく瀬戸内海に心を解き放ち、ゆったり昼寝なんぞして、夜は、屋台。ねじり鉢巻き、きゃはんにもも引き姿の人夫さんと話して、ひとかどの大人気取りである。
 彼らが泊まる素泊まりの宿に入ると、モンペ姿のおかみが、一人百円だという。前払いして雑魚寝の部屋に入り、トイレに行こうと廊下に出ると、下からおかみの話し声が聞こえて、「あの学生ら、百円というたら素直に百円ずつ出しよった」と自慢げに言うと、おやじらしい男が、「なんで百二十円と言わんのじゃ」としかっている。相部屋の人に聞くと、一泊五十円だそうな。
 腹は立つが、文句を言う勇気もなく、これも社会勉強と受け止めて、広島に行った。ドームを見学して厳粛な気持ちとなり、素うどん代を節約、タイコ焼き一つで我慢し、それでも夜は、ぜいたくに、二十円の映画を見た。
 今度の素泊まりはしっかり五十円の前払いで入ると、六畳か八畳の部屋に、重なり合わせて六つの布団が敷いてあり、片側三つの布団にはもう人が入っている。
 三つ並んで空いている布団のうち一番奥のは、決まった客が使うらしく、足元に小さな鏡台があり、横の障子の桟に、なんと深紅の長じゅばんがかかっている。これぞ、旅。
 私と友達は、眼だけの会話でジャンケンし、私が勝って真ん中の布団に入った。
 寝入ったふりして待っているが、じゅばんの人はなかなか帰ってこない。私と頭を突き合わせる布団に入っているのが夫婦者で、周りのいびきが高まるにつれ、動きが妙である。長い時間が過ぎて、人の気配。頭をまたいで奥に入った人は、すらりとした和服姿。
 ひそかに下からうかがっていると、帯を解き、和服をたたみ、ひもを抜いてじゅばんをするりと落とし、現れたのがふんどし姿であった。

* * *

 持ち金が尽きて帰途につく。
 「せっかく来たんやから、姫路のお城を見て行こう」
 腹が減って動けぬという友違を、「白鷺(さぎ)城」というきれいな名前で釣って途中下車したが、階段の数が多くて、さんざんぼやかれる。
 京都駅から自宅までの電車賃を姫路城の入場料にあて、たばこもつき、残るのが十円となった。たばこというものは、こうなると、無性に吸いたくなるものである。鈍行列車の中でたばこを吸っている人に、十円払って何本か分けてもらい、二人でむさぼり吸った。
 夕暮れ時ついに京都駅に着き、歩いて帰るしかないと腹をきめたが、友達は、もう足が動かないとへたり込む。もてあましていると、学生服の襟の裏あたりをごそごそやって、何やら取り出した。親が、いざという時のために一枚縫い込んでおいてくれたという千円札である。
 「何でそれを早う出さんのや」と文句を言いながら駅前の居酒屋に走り、食べて、飲んで、タクシーで帰宅した。
 金というものは、使いようである。

(日本経済新聞掲載/1994年11月26日)
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