小学六年生のころ、私は新聞配達をしていた。冬、みぞれの中、転んで泥の道にちらばった新聞をかじかむ手で拾った時の悲しさは、今も忘れられない。
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高校時代、本が好きで、京都の寺町から丸太町、今出川から百万辺あたりまで古本屋をたずね歩いた。すると必ず一目ぼれする本に出合って、何としても欲しいのにお金が足りない。その本を置き去りにする切なさを、幾度となく味わった。
だから私は、大学へ入ると猛然とアルバイトをし、大学の授業料も自分で払った。その自立の満足感、そして、自分のお金で自由に行動できる解放感、あれは、おそらくひな鳥
が、はじめて自分の羽で空中にとび出して行く時味わう感覚なのではなかろうか。
アルバイトは、ほとんどが英語の家庭教師で、ある時教え子のおやじがやってきて、
「今度さつまいもでつくった新しいお菓子を売り出しますよって、なんぞええ英語の名前つけとくなはれ」という。
「スィートハートというのは、どうです?」
「それ、何ですのや」
「恋人のことですわ。いつも、欲しい。スィートは、甘いいうことやから、ぴったりでしょう」
「フーム、いもが恋人ねぇ」
おやじ、首をかしげながら帰っていったが、何日かしておやじの店の前を通ったら、新発売の菓子の張り出しビラに、上手とはいえない手書きで、ズバリ「いも菓子」とあって、私の名案はあえなくもやみに消えた。
大阪から毎週習いにくる商船大学受験生がいて、彼の夢は、世界をまたに海洋をかけめぐることであった。
彼は、のちのち、「あの時教えてもろた英語の読み方は、今でも仕事する時、ごっつぅ役に立ってますわ」と感謝してくれるのであるが、彼に伝授した英文の読み方というのは、記憶の苦手な私が受験時代考案したもので、まず、予習をしてこないこと、というのが第一。
次に、辞書を引いてはいけない。分からない単語はそのままにして続み進み、おおまかに、その文章が何を言っているのかをつかむ。次に、分からない単語のある文章に戻り、文法の知識で構文を解析して、その単語が名詞か動詞か形容詞か副詞かを知る。
そして、文章の前後から、その単語の意味を推測し、全体の話の筋が通るように訳する。それを終えてから、はじめて辞書を引く。これで彼は、間違いなくその単語の意味を覚える。
そして、推理が間違っていた時は、文法のあてはめが間違っていたのか、全体の文意の把握を間違っていたのかなど、原因を確かめる。
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そのような学び方で、次第に文章を難しくしていき、彼が神戸商船大学を受けるころは、相当ひねくれた英文もこなせるようになっていた。ただガムシャラに単語をおぼえるのではなく、推理したり判断する楽しさを加味したのがよかったと思っている。
彼は、ゆうゆうと大学に合格したが、世界の海をかけめぐるという夢は果たせなかった。
なぜなら、彼からプロポーズされた私の下の妹が、「海に出てなかなか帰ってこないなんて、いや」と言ったからである。わがままなようだが、世間的にはいい縁談をことわって彼にかけた妹の真っすぐな心根であったのだろう。
彼は、関西の損害保険会社に勤め、商船大学で学んだ知識と英語の知識とを船舶衝突事故の調査に生かしながら、日本の古都、奈良で、妹と仲よく暮らしている。
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