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定期連載 青春の道標
更新日:2005年9月16日
自室、「たまり場」に 宿直室でも酒盛り

 学生時代のわが家は、京都の下町特有の、奥に細長いうなぎの寝床のような造りであった。大学に入ると、一番奥にあった小さな離れを与えられ、ここには、だれに声かけることもなく玄関から入って来られるものだから、昼夜を問わず友達が寄り集まっていて、まるで「梁山泊」であった。金がなくなると来て、二、三日居続けるやつもいた。
 それに中学を出てすぐ働き出した連中とコーラスの会もやっていたから、わが家は、受験生のいる静かな家から、一挙に、騒々しい集会所と化したのである。

* * *

 大学にはほとんど行かず友達のノートを借りて単位を取るだけという状況で、三年生になってもいっこう事態は改善されないものだから、おやじはたまりかねたのであろう、知り合いの京都市立加茂川中学校長に頼んで、私に宿直のアルバイトをさせることにした。宿直だと外に遊びに出られないから勉強するだろうというのがおやじの計算だったのだろう。それに、夜、家が静かになるということも大きかったに違いない。
 校務員さんが二人いて、交代で校務員室に泊まっているのだが、賀茂川べりにある広い校舎や校庭の警備は、宿直室に泊まる私の責任である。
 深夜の巡回はけっこう不気味で、懐中電灯ひとつ持って教室を照らして行くと、いきなり足元を真っ黒なけものが駆け抜ける。教室に無断宿泊していた犬に違いない。
 時には、照らした教室の奥から「だれだ!」と怒鳴られたりする。それはこっちの言うせりふだと思いながら光を下げると、あられもない姿のカップルが身を縮めている。
 午後五時半になると宿直室に入るのであるが、その時間帯にはまだまだクラブ活動で残っている生徒たちがいるし、補習で教えている先生もいる。特に、若い男性教師のI先生は熱心で、彼は、生徒会活動を指導しながら、そのために生徒会委員の勉強が遅れないよう補習をしてやっていた。
 当然のことながら彼をしたう生徒たちが多く、大変な人気である。宿直室に印刷用の白紙の束が積み上げられていたが、彼や生徒会委員たちが、学校新聞や補習問題印刷のためどんどん使っていた。
 ところがある日校長に呼ばれて、「あなた、宿直室にある用紙を勝手に持ち出していませんか」と言われた。「とんでもない」と怒って疑いの根拠を聞くと、ある先生がそう言ってきたという。私は背景事情の推測がついたので、I先生や生徒会委員たちの持ち出しのことは言わず、「管理は厳密にし、
犯人はつきとめます」と宣言して引き下がった。

* * *

 酒飲み仲間になっていた校務員さんに聞くと、彼は「校長に告げ口したのはX先生に違いない。彼はPTAからI先生のようにしっかり教えてくれと言われたのを根に持っている。I先生の用紙使用が多すぎることをあなたの口から校長に報告させて、I先生の補習をやりにくくしてやろうという魂胆に違いない」という。そんなことだろうと思っていたので、しっかりした生徒会委員二人に事情を話し、彼らに「用紙を不当に使わせず、生徒会活動を妨害する宿直員に抗議する」という文書を書かせた。
 これを校長のところに持っていき、「生徒たちは、背後にX先生がいると言って騒ごうとしている」と話すと、校長は思い当たるふしがあるのか青くなって、紙はどんどん使わせてよいと言った。
 ここで良心の痛みに耐えかねて告白するが、私は決してよい宿直員ではなかった。わが家に出入りしていた友達がそのまま宿直室に遊びに来るようになって、中には、女友達を連れてきて衛生室でデートしていくやつまでいたのである。酒盛りはしょっちゅうで、ある夜、窓を開けたまま酔って、五、六人で阿波踊りをやっているところを通りかかったPTA会長に見とがめられ、その抗議で私は直ちに宿直員をクビになった。
 おやじのもくろみは、かくて失敗に帰したのである。

(日本経済新聞掲載/1994年12月17日)
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