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提言 ビジネス(人事・組織)
更新日:2005年9月16日
コンプライアンスで利己心を抑える。それが、“己を守る道”にもなる

 人が利己的存在であるように、企業も利己的存在である。
 しかし、社会の中で、人が利己に徹して生きることが難しいように、企業も、他者(社会)のため、己の利益を犠牲にしなければならない時がある。そのように行動することが、コンプライアンスである。
 アダム・スミスは、「すべての人が利己に徹して利益を追求する時、市場の見えざる手が働き、最適な資源分配がなされ、よりよい社会が実現する」と考えた。
 この原理は、今日でも、基本的には正しいのであろう。ただし、人が健全な方法で競争して利潤を追求し、政府が市場に介入しないという前提が成り立てば、の話である。
 世の中、不健全な方法をいとわぬ利己的な人は少なくない。そういう人は、商品の質や産地や製造時期を偽ったり、賄賂で行政から不当な支援を得たり、脅して買い取らせたり、不公正な方法で利潤を追求する。そうなれば、「スミスの原理」は働かない。
 それに、市場経済の規模が拡大すると、巨大になった資本が、不当にその経済力を発揮して健全な競争を歪める。そこで政府は、資本による過剰な利己心の追求を制限するため、独占や不公正取引の禁止その他、様々なルールを作らざるをえなくなる。
 このように、社会全体の利益のために利己心を抑制する規範に対するコンプライアンスが強調されるようになった。
 さらに考えれば、人が社会的存在であるように、企業も社会的存在である。だから、その活動は、社会にとって有用であってはじめて評価される。企業活動の最終の目標は、社会に役立つことであり、その結果、もたらされる利潤の獲得は、最終目標を達成するための手段として設けられる目標に過ぎない。だから、コンプライアンスのない利潤獲得活動は、最終目標に役立たないものとして、社会的に排除され、倒産のリスクを高める。
 そのように視点を高めれば、コンプライアンスは利他的であるだけでなく、己を守る道でもあると言えよう。

(先見経済掲載/2004年9月27日)
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