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提言 生き方・その他
更新日:2005年9月16日
「人生の四季」 カネは天下の回りもの(7)
母は「お金」と即答したが…

 金か、愛情か。
 その選択を親にせまった人がいる。三田公美子さん、郡山市で広告、出版などの企画会社を経営する、豪快な社長さんである。十数年前のことだが、八十一歳の母親が腎臓の病に倒れた。
 「私が会社をやめて愛情たっぷりに付き添った方がいいか、それとも会社を続けて稼いだ方がいいか」と問うと、母は、「お金」と答えた。
 父親を早くに亡くした公美子さんは、仕事に打ち込むあまり、独身を通した。その愛情は母親のみゆきさんに集中し、つねづね、「母が大好き」と公言していた。
 「病院代は月四十万もかかるし、悩みましたよ」と公美子さんは振り返った。一方、みゆきさんの方は、「この子は仕事以外ない人でね、仕事をしている時が一番いきいきとしていますよ。介護なんてやらせてもまったく不得意ですしね」と、娘のことをよく分かったうえでの、お金の選択であった。
 「よし、金でナンボかかろうと、とにかくできるだけのことはする。がんばるよ」と母親に言って、公美子さんは仕事に励んだ。二人からそんな話を聞いたのが十年前である。私は公美子さんの会社に電話をしてみた。
 「まだ頑張ってます」
 会社は続いていた。
 「お母様は?」おそるおそる聞くと、亡くなられていた。
 「介護保険制度が出来る少し前です。自分の家で、苦しむこともなく、大往生でした。九十歳です」
 好奇心が強く、自立精神旺盛なみゆきさんが、安らかな最期を迎えられたことに救われた思いであった。
 退院されたみゆきさんは自宅で一人頑張っておられたが、九十歳になると、さすがに心細げな気配が見えた。それで公美子さんは、退職していた東京の兄に、みゆきさんと一緒に暮らさないかと勧めたという。
 「兄嫁は私と違ってやさしい人で、母もちゃんとそこを見抜いてましてね、了承したのです」
 兄夫婦が母と同居し、公美子さんは会社を続けて、母親の生活費を負担した。
 「母にとっては、あんなにおかいこぐるみで世話されたのは人生ではじめてのことだったのでしょうね。すっかり油断してしまって、半年もしないうちに大往生してしまいました。あんなにしっかりしていた人が、少し呆けも出ましてね。やっぱり堀田さん、人間、安心してたたかう気持ちを失ったら、ああなりますね」
 充実した人生を送るには、いつも緊張が必要だという公美子さんらしい発言である。
 「でも、最後の半年、みゆきさんは幸せだったのではないですか」と私が問うと、公美子さんは、すぐ、「そうです。すごく幸せでした」と力を込めて答えた。
 人生の最期、愛に甘えられる時があってよいと思う。

(日本経済新聞掲載/2004年1月18日)
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