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提言 生き方・その他
更新日:2010年4月22日

貧乏性の不安症

 “宿題”だらけの日常
  「心おだやかに」生きたことは、あまりない。いつも「やらなければいけないこと」を抱えていて、急(せ)かされるような気分でいる。それでは長生きできないだろうと思うのだが、もう75年間生きた。四分の三世紀である。
  ぽかっと宿題がなくなる時も、ないわけではない。それが在アメリカ日本国大使館に勤務していた3年半の期間のように、何日、何十日、何カ月とまとまって「急いでやらなくてはならないことが何もない状態」になると、これはまことに気分の良い、心おだやかな日が続くことになる。子どもたちと存分に遊び、日程と行き先を決めずに車で家族旅行に出かけ、生命(いのち)の洗濯をする。寿命も延びる天国のような日々であった。
  ところが日本ではそうはいかない。基本的には厳しい目標を立てる自分が悪いのだが、いろいろな人と組んでやっていると、向こうから宿題がどんどん入ってくる。その中で分刻みに生きているうち、まれにぽっかり週末の一日が空いたりすると、もういけない。ただだらだらと一日過ごして疲れきってしまう。何もしないと、何とも心が落ち着かないのである。身体(からだ)は辛くてもやるべきことに挑戦し、それをこなした時に得られる達成感の方がはるかに快く、身体にも良い。
  そういうわけで、適度なストレスは最高、ストレスゼロよりストレス過剰の方がよいという、まことに日本的で情けない毎日を送っている。
 
  神経ザワザワ、鳥肌立つ恐怖
  そういう私にも、どうにもならないストレスがある。ストレスなどと言える範囲を超えて、もうどうしようもなく、こんなに辛いなら首を吊って死んでしまいたいという衝動にかられるほどの辛さである。
  たぶんそれは私のPTSD(※)で、閉所恐怖症に似た症状といってよい。鼻が詰まって呼吸が出来ず、蒸し暑い空気に包まれていると、その症状がやってくる。息苦しさが続き、胸がドキドキするのに耐えているうち、神経がザワザワし始めて、鳥肌立つ感じになる。そのうち胸苦しさは最高度に達し、頭は真っ白で、居ても立ってもおれない。どうしようもない強烈な不安に思考力をからめとられ、高い窓から飛び降りたい衝動にかられる。
  (※ 心的外傷後ストレス障害。忍耐の限界を超えたストレスを体験した後に生じる心身の障害のこと)
  この感覚は、幼児期に記憶がある。とんでもなく腕白だった私は、父にせっかんされ、こらしめのために布団にぐるぐる巻きにされ、押し入れに閉じ込められたことがある。まったく身動きができず、真っ暗で、蒸し暑く、汗びっしょり。顔に押し付けられている布団のため息が苦しく、叫び声も上げられず、地獄の責め苦であった。今でも事件報道で、手足を縛られ鼻と口に粘着テープを貼られて窒息死などという記事を読むと、ぞっとして顔色が変わるのが自分でわかる。
  夜、鼻が両方詰まって目が覚めた時には、胸の鼓動が高まってとても布団に入っていることができない。起き出して真夜中にビデオを再生するが、それでもじっとしておられないと、静まり返った街に飛び出し、むやみやたらに歩く。外気で鼻が通るまでの徘徊老人である。
  一度新幹線の中で、この症状に襲われたことがあった。新幹線が熱海トンネルの中で停まってしまったのである。冷房が切れ、車内が蒸し暑くなってくる。いつ動くものやら車内放送を聞いてもまったく分からず、だんだん空気が薄くなってくるような気になる。不安いっぱいの表情をした人たちが通路をうろつきだし、それを見るうち、私の中の不安感が臨界点に達した。走り出したくなる衝動を辛うじて抑え、私は死んだ後のために「遺(のこ)す言葉」を手帳に書き始めた。そのうちそれを書くのに夢中になって、あれほど耐え難かった胸苦しさを忘れ、書き上げる前に列車が動き始めて冷気が流れた。
  死ぬと腹を決めれば不安は消えるのかも知れない。今はその覚悟が、煩悩に満ちた人間に心おだやかさをくれるのだと思っている。
(「PHP」2010年5月号掲載)
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2010年4月22日 生きがいづくり」が、私の生きがいであ
2009年11月25日 お寺はあなたを待っている
2009年10月14日 家族の絆を深める家
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