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提言 生き方・その他

更新日:2011年2月20日

定年は社会貢献への入り口
高齢者の出番であろう。
政治はもたついてはいるが、社会保障と税制の一体改革へと、ステージは進み始めた。
 このままでは社会保障がもたないことは多くの国民の認識するところとなってきたし、消費税を中心とする増税を覚悟せざるを得ないと考える人々も、多数派となりつつある。
 増税を必要とする理由の主たるものは、いわゆる高齢者三経費と呼ばれる年金、医療、介護の負担増である。負担が増えるのは、高齢者が長生きするからである。
 そのことはみんな知っているから、増税を覚悟しつつもその辛さが骨身にしみる人たち、若者や子育て中の人たちは、つい、高齢者に白い眼をむけることになる。すでに今の段階から、高齢者についてひどいことを言っている人たちも少なくない。
 しかし、世代間断裂は、何としても避けなくてはならない。世代間連帯なくして社会も国も家族も成り立たないからである。
 では、どうすればよいのか。
 だから、高齢者の出番なのである。若者にとっても子育て中の人にとっても高齢者がありがたい存在であることを実感させるような活動を、高齢者がやってみせるほかない。
 昨年末の紅白歌合戦で全国にブレークした歌に、植村花菜の「トイレの神様」がある。
 上手に孫娘にトイレ掃除を続けさせるおばあちゃんの歌である。この孫娘(植村さん自身のようである)やこの歌詞に共鳴した若者たちは、たとえ消費税が上がっても「もうおばあちゃんはいらない」とは思わないであろう。
 しかし、現実には、家で、おばあちゃんが孫娘にじっくり教える機会は、格段に減っている。おばあちゃんもおじいちゃんも、高齢者のみ世帯とやらで、時間を持て余しているのである。
 これでは白い眼で見られても仕方がないであろう。
 孫娘と同居しないのなら、地域の子育てを受け持つのがよい。はじめての子育てにとまどい、苦しみ、誰にも相談できない若い親は、地域に子どもの数程いる。そこに高齢者の能力を生かせば親たちはどれほど助かることか。そういう仕組みをつくるのも、地域の高齢者たちの智恵と行動力であろう。
 90年代に、イギリスの地域通貨を見学に行ったことがある。
 子どもからお年寄りまで、地域の人々が、地域の名前を付けた地域通貨を仲介の手段として、助け合いを行っていた。子どものお使い(買い物)、ギターの教授、煙突掃除など、交換するサービスは、日本の地域通貨とそれほど変わったものではない。
 おやっと思ったのは、地域通貨を使う人々のパーティに、区の公務員が参加していたことだった。
 「あなたは、どうして来ているのですか」と、私はぶしつけな質問をした。
 「今は就職難ですからね。就職できない人がこの助け合いでやる気を失わないようにしながら、ここでできた人脈でいい就職口を見つけられるように、私は陰のあっせんをやっているんです」
 意外な答えであるが、たしかに就職は洋の東西を問わず、表の紹介よりも、人脈を通じたあっせんの方が確かで、うまくいくのかも知れない。
 ここにも、企業OBである高齢者の出る幕がある。地域の若者をわが子の仲間くらいに感じて適切な職場をあっせんしたり、個別のアドバイスをすれば、若者たちはどれほど心強いことであろう。
 定年を楽隠居の入り口とする程甘い社会ではなくなっている。楽隠居は、実は何もすることのない苦行ともなっている。
 定年は自分の能力を生かして行う社会貢献生活の入り口と考える社会に、変えていくべき時を迎えている。

  

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