政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会
更新日:2005年9月16日
地域通貨の有用性と発展可能性

地域通貨の類型とその有用性

 人が行う活動の主なものに、経済活動と公共の活動(国、地方自治体その他の公共団体が行う活動)があり、それらの活動には、法定通貨が用いられる。経済学や公共経済学はあまり論じないが、人が行うもう一つの重要な活動に無償・非営利の活動がある。その主なものは、男女が愛し合い、子をつくり、育て、家族が助け合うなどの家庭内の活動と、近隣の助け合いの活動やボランティア活動などの共助の活動である(注)。
 地域通貨の機能を、これらの活動との関係で類型化すると、
(1)無償の活動を活性化させ、あたたかく住みよい社会をつくろうとする相互扶助型地域通貨(無償の活動のツール)
(2)地域の経済を活性化させ、市場経済の持つ苛酷さを緩和しようとする地域経済活性化型地域通貨(経済活動に無償の活動の要素を加えた活動のツール)
(3)環境、文化、教育、社会的弱者支援その他の公益活動で、経済活動も公共活動もカバーしないものを実現しようとする公益活動型地域通貨(公共の利益のために行う無償の活動及び経済活動のツール)
(4)法定通貨の欠点を是正するため、法定通貨に代えて用いようとする地域通貨(経済活動のツール)
がある。現実に用いられる地域通貨には、複数の機能を持つものが少なくない。
 それぞれに社会的な有用性があるが、それぞれの類型の地域通貨の発展可能性は、その有用性・必要性の程度と、ツールとしての機能の程度によって決まると考えられる。

(注)人の活動の分類や、その活動によって提供される財(物とサービス)の分類(市場財・公共財・無償財)については、拙著『心の復活』(PHP研究所 二〇〇一年)を参照されたい。

相互扶助型地域通貨

 このタイプの社会的有用性は、現代の日本に乏しい共助の活動を触発、発展させることにある。
 一九九〇年代から少しずつ共助のボランティア活動が広がり始めたが、経済活動によって得た収入により自助・自己責任の生き方をすべしとする経済活動至上観にとらわれた多数の人々は、容易にボランティア活動に参加しないばかりか、困った時近隣に助けを求めることすらできない状態にある。
 相互扶助型地域通貨は、その壁を破るためのきわめて有効なツールである。それが有効なのは、無償の共助を受けることを屈辱とする自助絶対感覚の人たちも、互酬(お互いさま)の仕組みということで納得でき、助けてと言いやすくなるからである。あわせて、提供できるサービスのリストは、共助を受け得る行為を示すことにより、心理的に頼みやすくする働きをする。今の日本は、ある程度日常のつきあいのある近隣の人であっても、子どもの預かりや認知症の親の面倒、病院への送迎や庭の植木の手入れなどを頼むのは難しいが、この壁を破るのである。
 さらに、この仕組みに参加する人々は、無償で人に役立つ喜びといきがいを得ることができ(それは、介護予防の役割を果たすであろう)、また、社会全体としては、市場経済では生かすことのできない人の能力を、社会資源として活用するという効用を得ることになる。イギリスの地方自治体がLETSを支援するのは、ここに理由がある。アメリカのタイムダラーの提唱者カーン博士が、タイムダラーによる社会保険料の一部納付を認めよと主張するのも、タイムダラーに経済的価値を付与せよということではなく、社会的に有用な活動の価値を行政が認知せよという趣旨なのである。
 相互扶助型地域通貨の有用性は以上のとおりであり、それが唯一の、とまでは言わなくても、きわめて有効なツールであるから、日本の社会が共助の復活を必要とする限り、それは着実に広がると予測している。現に私どもが推奨している「時間通貨」を始める人々は、着実に増えている。それは、時間を単位とする点で経済活動と明確に区別されており(医師による一時間の治療行為と小学生による一時間の子守りとは、共に善意の無償活動として等価値である)、仕組みはもっとも単純で、仲間を募るのも始めるのも簡単である。
 もっとも、相互扶助を基本理念とする地域通貨は、他に有力なものがいくつかある。加藤敏春氏提唱のエコマネー(広義)には何種類かがあるが、相互扶助を理念とするものを原型としていると思われるし、LETSも、世界の各地で理念や方法がかなり異なるようであるが、基礎には相互扶助の精神があると見受けられる。
 この型の通貨が世界、特に先進諸国の各地で一九九〇年代に広がり始めたのは、冷戦終結後のグローバル産業の猛威により、地域社会や地域経済が衰退した現象があるのではないかと思われる。それらの地域通貨には、失業者その他の社会的弱者救済の色が日本より強く見受けられるのも、そのことと関係しているのではないかと推測している。
 いずれにせよ、日本は先進諸国の中でももっとも共助の復活の必要性が強い国だと思われるから、この類型の地域通貨は各地に広がるであろう。ただ、この点はカーン博士と私とは意見を異にするのだが、私は、あと何十年かすれば、日本の地域社会における相互扶助は相当な程度に復活し、地域通貨という仕掛けは必要なくなるのではないかと考えている。
 その視点からすれば、タイムダラーをヒントにして始めた愛媛県関前村の「だんだん」が、毎年末にプラスマイナスを零にして一からスタートすることにしていることに、好感を持っている。

地域経済活性化型地域通貨

 アメリカのイサカアワーズの系統の地域通貨がこれである。日本では、多くが、地域の商店街の活性化や、地域の農業・産業などの振興を目的としている。
 地域経済が、グローバルな、あるいは全国レベルの大企業によって破壊されつつあることは、ここで説くまでもない。地域経済の衰退は、地域そのものを破壊していく。それは地域に住む人々の不幸であるだけでなく、国としても社会資源の不活用というマイナスをもたらす。
 地域経済活性化型地域通貨は、この巨大な力に対抗して地域の暮らしを守ろうとするもので、その社会的有用性は非常に高い。ただ、地域経済活性化のためのツールとして有効なものにするには、さまざまな工夫が求められよう。
 地域通貨が、単に割引きという経済的手段によって地域経済活性化をはかろうとするのでは、大資本にたち打ちできないであろう。経済活動の基本にある資本の論理ではまかなえない劣勢を回復させるのは、無償の活動の基本にある愛情の論理であろう。千葉の地域通貨「ピーナッツ」を使う時「アミーゴ」と言葉を交わすのは、まさに地域を愛する人々の連帯感の表明である。顔が見え、表情から愛情が交わされるあたたかい関係が付加されてはじめて、経済活動に人間交流という無償の活動の持つ魅力がプラスされ、地域の人々を引きつける。また、用いられる地域通貨が、地域をよくするボランティア活動によって得られたという事実も、愛情の論理による魅力を付加する。さらには、地域通貨によって購入できる産品が地域の人々のよい産品をつくる熱意の表れであったり、購入できるサービスが提供者の地域への愛情のこもったものであったりすることも、地域通貨の魅力を増すことになろう。
 このように、地域経済活性化のための地域通貨とはいえ、その魅力は、経済活動のルールの枠を超え、無償の地域愛と結びついてはじめて、有効なものとなると考えられる。成功した地域経済活性化型地域通貨は、何らかの形で、経済活動を超える相互扶助的地域活動を取り入れていると見受けられる。
 そこにこのタイプの地域通貨がツールとして成功する鍵がある。したがって、その発展可能性も、いかに住民の心を打つ地域愛の活動を取り入れるかにかかってくると言えよう。

その他の類型の地域通貨

 環境保護、文化の振興、学校システムからはずれた生徒に対する教育、日本にとけこめない外国人に対する支援その他さまざまな公益活動に地域通貨は活用できる。そのために必要な資金の負担は、行政が行ってもよいし、地域の住民などが行ってもよい。公益がすべて国と地方自治体の負担で実現するということは財政的にも不可能になり、住民は、自ら公益のために汗を流そうとし始めている。その仕掛けを地域通貨が担うのであり、現にそういう地域通貨も現れ始めている。
 また、ミヒャエル・エンデ、ベルナール・リエター、加藤寛氏らの頭の中にある地域通貨は、これまでに述べた各類型の地域通貨と異なり、もっぱら経済活動に用いられる点では法定通貨と同じでありながら、たとえば地域の産品による通貨の交換が保証されるとか、マイナスの利子をつけるなどの修正をして法定通貨の欠点を修正しようとするもののようである。一九三〇年代に発行された地域通貨や発展途上国で法定通貨に代えて発行された地域通貨も、法定通貨の機能を補足するものである。興味深い発想であるが、この類型の通貨が日本で発行される可能性が大きいとは思えない。

結びに

 日本で発展する可能性の高い地域通貨は、単に法定通貨の足らざるところを補うだけのものではなく、類型(1)ないし(3)のどの類型の地域通貨もそうであるように、従来の経済活動と公共の活動だけで構成されていた社会活動に、住民参加による地域づくり、新しい公益の創出の活動を加え、これを伸展させるツールとなるものである。
 だからこそ、地域通貨には、夢があると言えよう。

(グラフィケーション掲載/2005年5月)
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