政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会
更新日:2006年11月17日

共謀罪は必要か

日本を除く120カ国が批准した条約
  日本も国際テロ等防止のための連携の一環に入るには、国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を批准しなければならない。しかし、そのためには、共謀罪の創設が必要である。はたして人権侵害のおそれのない、適正な共謀罪を考案することが可能か。これが、本稿の焦点である。
  なぜ、この条約の批准が必要か。
  それは国境を越えて暗躍する組織的犯罪集団が強大となり、各国が個別に取り締まっていたのでは到底対応できない情勢になってきたからである。
  私が法務省で国際犯罪を担当していた30年前から、すでにその取り締まりが各国の課題となっていた。当時は、麻薬と覚せい剤の密輸撲滅が先進国共通の願いで、それに加えてアメリカが、汚職などの腐敗行為の国際取り締まりに熱心であった。その後のめざましい国際化の進展に伴い、国際的組織犯罪集団は、銃器や禁制品の密輸、人身売買、誘拐、殺人請負、窃盗、地下銀行、マネーロンダリング、通貨偽造、サイバー犯罪などとその領域を広げてきた。
  そして、2001年9月11日のテロが象徴するように、高度な専門的犯罪集団が広域にわたって潜在し、突如大規模で悲惨なテロを暴発させ、世界中がその恐怖に身を縮めるという事態となった。
  大がかりな国際犯罪から国民を守るため、諸国は会議を重ね、やっと合意に達して出来上がったのがこの条約である。日本の各党もこの条約に賛成し、03年国会で承認された。すでに120以上の国がこの条約を批准しており、それらの国では、国際的組織犯罪集団が犯しそうな行為を共通して犯罪とし、捜査情報を共有して特別な捜査を行い、いずれかの国で必ず裁判と刑の執行が行われる国際的協力体制がつくられたのである。テロに対して大がかりな戦争を仕掛け、無辜(むこ)の民を殺害するという過剰、不当な制裁に比べ、はるかに合理的、近代的で適切な仕組みである。すべての国が一刻も早く批准し、テロリスト等の摘発に絶大な効果を発揮する日の到来が待たれる。それにより、テロ撲滅を理由に行われる戦争への衝動を消したいのである。

テロを未然に防ぐために立法された
  ところが、わが国はまだこの条約を批准できていない。原因は、共謀罪にある。
  この条約は、締約国が共通して罪とすべき行為の主なものとして、重大犯罪の共謀をする行為を挙げている。ただ、国内事情によって、単に共謀しただけでは罪とせず、共謀した内容を実行に移すための明白な客観的行為(Overt Act)をしてはじめて罪に問えることとしてもよいとされている。
  なぜ、条約で共謀罪の立法が求められたのか。
  摘発を行う上での有効性は、説明するまでもないであろう。たとえばテロの実行を相談して決めたという情報が入れば、その段階で検挙しなければ未然に防止するのが難しいし、国によっては、共謀罪がないと、実行を企画、指示したが実行行為はしていない幹部を処罰できないところがあるからである。
  法制面から言えば、日本やドイツ、フランスなど大陸法系の国は、実行行為に出ていないのに共謀罪に問えるのはよほど重大な犯罪の場合か、犯罪組織結成のような場合に限られているが、英米法系の国では、共謀罪(Conspiracy)は、一般犯罪すべてについて、その実行とは別に処罰できる罪として設けられている。ただ、アメリカは、イギリスと異なり、連邦法や多くの州法で、共謀のほかに、明白な行為に出ることを処罰の要件としている。そのアメリカが、この条約推進の原動力であったから、共謀罪を設けることが条約の大切な柱となったと言えよう。

「酒場の会話も共謀罪の対象」という誤解
  政府がこの条約批准のために提出した当初の法案では、重大犯罪の共謀の罪を設けたが、明白な行為は要件としていなかった。
  そのため、「居酒屋で『あの野郎、ブッ殺したい』『そうだ』と言っただけで罰せられる」とか、「あらゆる会話が警察の監視の対象になる」とか、「労働者の権利を守るための団体行動の相談だけで検挙される」とか、誤った解説が無責任に行われ、国民の間に心配が広まった。
  残念ながらそういう現象は起きがちなことであり、立法作業に従事した専門家たちは、そのことを予想して「明白な行為」を当初から要件としておくべきであった。
  政府・与党は、高まり始めた世論の動向に押され、共謀した犯罪の実行に資する行為(明白な行為)を処罰の要件にし、さらに、その共謀が、重大な犯罪の実行を共同の目的とする団体の活動として行われることとするなど、共謀罪の要件を厳格にした修正案を出したが、いったん動き始めた世論に冷静さを求めることは困難であった。
  会期末がせまると、6月1日、政府・与党は、思い切った提案をした。民主党の対案を“丸のみ”すると言ったのである。民主党案は、明白な行為の要件をさらに絞って、共謀した犯罪の予備を行うことを処罰要件としているほか、その犯罪が懲役5年を超える刑期のものであること(条約では、4年以上)、国際的犯罪であること、及び、組織的犯罪集団の犯罪であることという要件を付している。
  これならば、善良な市民が不当に処罰されるおそれはない。組織的犯罪集団(重大な犯罪の実行を主たる目的とする団体)が行う国際的な重大犯罪の共謀に加わることができるのは、よほど善良でないか無差別殺人に盲進する確信犯に限られるであろう。
  ところが、民主党は、自らが提案していた対案の成立を拒否した。これにはマスコミも驚き、「対案は、政略の道具か」と論難する社説も現れたが、拒んだ理由は、麻生外務大臣が、「民主党案では条約は批准できない」と述べたからだというのである。
  このような経緯で、共謀罪を含む法案は、秋の臨時国会へと継続され、条約の批准は不透明になった。

日本はテロ摘発ネットワークの抜け穴
  当面の課題は、適正な共謀罪の規定を与党と民主党とで協議して成立させ、早期に条約を批准することである。現状のままでは、重大な国際犯罪の共謀罪に問われて日本に逃げ込んだ犯人を、日本は逮捕することも外国に引き渡すこともできない。日本が、テロリストに対する摘発のネットワークの抜け穴となっているのはまずい。
  人権の面からは民主党案は問題がないのであるから、それで批准が可能かどうかを調べればよい。一般論として言えば、日本政府は、古くから、批准に必要な国内法が整備されているかどうかについて、態度が過剰に厳格である。重箱の隅をつつくような非現実的な議論をして批准を拒もうとする癖が、身に染み付いている。条約が国内法体系にそぐわないのは、各国法制が異なる以上当然で、その間の整合性については諸外国は一般におおらかである。立案担当者は、過去のいきがかりは捨てて、国際的見地から問題を解決してほしい。協議が整わない時は、この条約の文言どおりの国内立法をすればよい。条約の文言は、構成要件としても明確である。あるいは、テロ(無差別殺人)に限って共謀罪を設ける手もあろう。
  長期的課題としては、共謀罪を含む各種の犯罪について、その構成要件に含まれる主観的要素を、客観的証拠に基づく推認により認定する法的慣行を確立する必要がある。日本の司法は、主観的要素についても直接証拠を求めるから、自白の偏重が生じ、それが不当な取調べにつながるのである。アメリカはそれを厳しく規制しているから、共謀罪のような主観的要素の強い罪を設けても、人権問題を起こす可能性が低いのである。
  日本の司法は、お白州方式を脱却し、理性に基づく近代的なものに成長しなければならない。

(文藝春秋編「日本の論点2007」掲載−2006年11月11日発行)
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