政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会
更新日:2009年9月14日

法曹有資格者活用の意義

1.日本を法化社会にするために
 日本における各種の活動が法の定めるルールの枠内で営まれることは、日本に住む人々に安心感と社会への信頼感をもたらし、人々の活動を活性化させる。前提は、そのルールが公正なことである。
 その視点からみると、日本は形式的には先進民主主義国の域に入っているが、個人としての権利意識及び義務(公正な社会を実現するために社会に参加する義務)意識が総じて弱いために、法に定めるルールが定着していない領域がまだまだ多い。
 それらの領域を法化社会にしていく責任は、まず第一に法曹有資格者にある。ここで有資格者というのは、実質を備える有資格者のことであり、具体的には、公平、公正の感覚を身に付け、法的な考え方ができる有資格者である。要するに、リーガルマインドを会得している者ということである。
 法曹有資格者が法化社会を推進することと、法曹の職域拡大とは必ずしも一致しない。たとえ報酬が期待できない場合であっても、必要な活動を展開していきながら、あわせて報酬に結び付く仕組み(扶助、支援など)の構築に努めるという姿勢が望まれる。

2.人権の領域
 最も遅れている領域である。
 特に認知症の人々の法的保護の領域を、私はかねてから「法の暗黒領域」と呼んでいる。保護のための法制度として、成年後見制度が2000年に実施されたが、約200万人いる認知症の人々に対し、付いている成年後見人は約14万人で、うち8割弱は家族後見人である。
 この制度のほかに、施設などに入居している認知症の高齢者などに対し、福祉担当者が行う権利擁護事業があるが、これは代理権限に法的な疑問があり、おおむね日常生活維持に必要な財産管理の範囲に止まっている。代理権の問題を解決するには成年後見制度に移行すればよいのであるが、その引き受け手がないため、現実問題として権利擁護事業はなくてはならず、そのため法的問題は見て見ぬふりをせざるを得ない現状にある。
 成年後見人が付いていない独り暮らしの認知症高齢者は、詐欺犯、窃盗犯などの好餌で、被害の認識がないから、捜査は不可能である。
 家族がいる場合でも、問題は少なくない。介護や支援は行われるが、財産については、相続をめぐる争いの先取りのような状態になったり、一人っ子であっても、相続分の先取りをして親のために使わないという事態が生じる。きょうだい間の争いで表面化するという例外的な事案を除いて、すべては法の外である。後見人になったことが、横領の隠れ蓑になっていることもある。
 任意後見契約をした第三者が、本人が認知症になっても後見監督人の選任を申し立てず、財産を横領してしまうような悪質な事例も見受けられるが、告発するだけの確証はない。
 このように法治国家とは思えない状況であるにもかかわらず、成年後見にかかわる弁護士は、ごく例外的である。司法書士が組織を作って引き受けてくれているが、報酬の壁もあり、認知症の人々の巨大な数の前に、無力である。私たちは報酬なしの後見を普及するため、市民後見人の育成に努めており、福岡の元公証人森山彰さんのような貴い先人の努力が実を結びつつあるが、全体とすれば道未だしである。
 認知症に限らず、高齢者一般について、その遺産が誰とも判らない人物にいつの間にか帰している事例も、珍しい現象ではない。介護が必要となった高齢者の処遇についても、3月の群馬県の老人ホームたまゆら火災事件で露呈したように、最低限のルールすら守れない事態が相当存在している。
 認知症高齢者や精神障害者の緊縛は、心ある福祉・医療関係者が努力して廃止に向かっているが、まだ避け得る緊縛がかなり残っている。しかし、法曹が保護に動く例は、ほとんどない。
 子どもの領域でも、むしろ日常化してしまったいじめにより、どれだけの子どもたちが人間性を歪められているか、慄然とする現状にあるが、法曹はまず動かない。
 働く人について、過労死問題に対応してはいるが、それを予防するために、黙って耐えている予備軍を救う活動がない。
 日本にいる外国人の権利保護も、ひどい状態である。これで憲法に国際主義をうたう国かと思う。
 法曹過疎地については法テラスが動き出しているが、人権全般についてリーガルエイドの仕組みを大きく広げなければならない。

3.立法・司法・行政の領域
 立法を担う機関に法曹がほとんどいない。国の議会の法制局や調査部にもパラパラとしかいないし、地方議会となるとなおさらである。
 法律案、条例案を立案するのは生え抜きの行政官で(例外的に行われる議員立法の場合ですら、裏で行政官が手を貸している例も少なくない)、そのチェックは、内閣提出法案の場合は、内閣法制局が行う。しかし、ここでも法曹有資格者は、少数派である。そして、法制局は、法案の政策内容に立ち入らない建前になっているから、行政官の発想した法律は、@国民に判り難い方が好ましい(税法、特に租税特別措置法がその典型)、A行政経費節減の美名の下に、国民の便宜よりも行政側の便宜を優先する、Bなるべく行政訴訟にならないよう、また、起こされても負けないように工夫する、C「国民が権利を有する」という書き方をなるべく避ける(社会保障関係の法律に多い)、D国を不当に優遇する(例えば、両罰規定の対象としないなど)といった、およそ現憲法施行前のような立法政策がまかり通っており、議会はそれを改める能力を持っていない。豊かにリーガルマインドを備える法曹が全面的に参加し、法化を防げる法律や条例を抜本的に改めるところから取り組まなければならないだろう。
 裁判官、検察官も不足であるが、これは18年前、法務大臣官房長時代に書いた拙稿(「法曹養成制度の抜本的改革の方向」ジュリ984号34頁以下)に譲る。ただ、近い将来、裁判員制度を行政訴訟など他の分野に拡げることを検討する必要があることを強調しておきたい。
 ADR、消費者保護、労働者保護、医療事故における過失認定などの領域も、主体は法曹でなければならない。国税不服審判官は全員法曹であってほしい。
 近頃は、民法の分野が、法人制度から取引制度まで、各省庁の所管に委ねられる傾向が顕著であるが、そういった分野の担当には、当然、法曹が必要である。

4.専門領域
 前項の続きで言えば、行政訴訟分野の専門家が少なすぎると思う。税務について、税理士は多くが通達盲従の姿勢を強いられている。市民の立場で異を唱えるのをバックアップする法曹が身近にいないからである。許認可権の行使は、もはや裁量の幅を超えていると思われる事例をあちこちに聞くが、まず、泣き寝入りである。法化どころか、無法化である。法曹は、多くの場合、関心を示さない。
 取引法の分野では、特に独占禁止と証券取引のルールの確立が必要だと思う。それらのルールは経営または取引のルールそのものであるが、経済が複雑に変動するため、適正なルールの設立自体が難しい。その複雑な状況の中で何が公正かを判断することが要となるが、その役割を果たせる法曹が少なすぎるのではないか。
 親族、相続の分野も、日本は相当遅れており、若者たちの心情と乖離しているように思うが、民事局も動かず、法曹も動かない。古い感覚の政治家がなお勢力を持っているからであるが、声を上げない若者や中年も、無気力というほかない。法制を時代に合わせようとする勢いのある法曹はいないのか。
 外交の分野にも、法曹はほとんどいない。アメリカを見習ったらどうか。
 今急速に経済発展しつつある日本周辺の国々の法制度の整備も、世界的課題である。この分野に対する法曹の進出も急務であろう。
 最後に非営利の分野では、NPOが4万に迫る勢いであるが、まともに活動しているNPOは、ほとんどすべてと言ってもいいほど、日本の法律の壁に当たっている。法曹の資格を得た者は、せめて一つくらい好みのNPOをかかえて法的アドバイスを行うプロボノ活動をしてはいかがであろう。グリシャム描く「路上の弁護士」(新潮文庫(上・下)、2001年)ほどのめり込まなくてよいにしても。

5.結びに一言
 資格は職を保証するものではない。
 自ら動かなければ、道は拓けない。

((株)ぎょうせい発行「法律のひろば」2009年8月号掲載)

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 [日付は更新日]
2009年9月14日 働き方を選べる社会に向けて転換
2009年8月12日 まともな政権選択のはじまり
2009年7月15日 本末転倒の「政権」論議
2009年7月8日 裁判への市民参加
2009年7月1日 新公益法人のゆくえ
2009年7月1日 政策の具体化
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