政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会

更新日:2012年11月22日

人の「認識」どう認定するか


【特別寄稿】 小沢裁判が示した司法の課題

 小沢一郎氏の無罪を肯定した東京高裁判決について、19日、指定弁護士が上告権を放棄したことは、相当であった。憲法違反などの上告理由が見当たらないのに、不安定な状態に置くことは、とりわけ総選挙が近い中、避けなければならない。
 とはいえ、小沢一郎氏に対する裁判は、今後の司法のあり方に問題を提起した。
 一つ目は、故意や共謀という人の認識を、どう認定するかの問題である。
 一審は、小沢氏が陸山会の土地購入に充てるために秘書に渡した4億円について、小沢氏は政治資金収支報告書に借入金として計上する必要がないと認識していた可能性があるとして、無罪にした。東京高裁もこれを肯定している。 
 しかし、小沢氏も弁護人も、そんなことは主張していない。もし裁判所が、そういう可能性があると認定するなら、どうして被告人である小沢氏に、それが事実かどうかを聞かないのだろうか。
 裁判官が「あなたはその4億円は秘書に渡したけれど、陸山会に貸したものではなく、あなた個人のものだと思っていたのではありませんか」と聞けば、分かることではないか。「そうだ」と答えれば、指定弁護士はどうしてそう思ったか、根拠を追及しただろう。
 そこが問題であることがはっきりしているのに、控訴審でも事実を確かめる手続きをとらず、判決で、長々とその可能性の有無を論じているのは、証拠より論≠フ本末転倒ではなかろうか。
 人の認識という主観的要素については客観的証拠はない。だから認識については嘘をつきやすいし、逆に、自白を強要する原因になりやすい。後者の弊害を避けるため、調べの可視化を進めると、これからは特に、故意や共謀といった認識についての嘘がそのまま裁判に持ち込まれる例が増えるであろう。
 裁判所は、その嘘をしっかり見破ってほしい。そのためには、被告人は自分に有利なように嘘をつくという原則を踏まえることである。不利な認識の内容を合理的に推認するのは必要であるが、有利な認識の内容については、言ってもいないのに推認するのはいかがなものであろうか。もし有利な認識についてその可能性があれば、それを被告人に問うべきであろう。その答えぶりを直接観察して、真実は何かを判断するのが直接主義裁判の姿であろう。
 二つ目は、法廷における嘘一般についてである。
 小沢氏らは、この事件が問題になった後で作った書面(土地の権利に関する確認書)をマスコミに提示したり、経緯の説明が不十分であったりしているため、この裁判は、不誠実な方が裁判で有利になるのかという、一般の方々の不信感を生み出した。
 日本の裁判にそういう面があることは否めない。刑事訴訟手続きのモデルである米国と違って、日本では、証人の偽証罪はほとんど見逃されているし、被告人の嘘は、偽証罪にならない。後者は、黙秘権を導入する時に犯した大変な誤りであって、黙秘権とは黙る権利(黙っていても法廷侮辱罪にならないという特権)であり、積極的に嘘をついてよい権利では、決してない。
 法廷が嘘の通る場であるという一般の方々の認識は、司法の基本的役割を骨抜きにし、日本社会を不健全なものにする。早急に確かな対策を講じなければならない。

(信濃毎日新聞「特別寄稿」 2012.11.20掲載)

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