政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会

更新日:2014年12月26日

正邪は武力で決まるのか

 選挙で自民党が大勝したからといって、集団的自衛権を肯定する民意が固まったわけではない。にもかかわらず、安倍政権は、海外で自衛隊が戦闘行為を行える道を開く作業を着々と進めるであろう。日本国民の安全を保障するのは、この道しかないと信じているようだから。そして、当選した議員の相当数がそう思っているようだから、その作業は、実を結ぶおそれが強い状況になっている。
 しかし、本当にその道しかないのだろうか。
 「この道しかない」と主張する専門家たちは、こう言う。@日本が安全を確保する道は、自前で自国を防衛できる軍備を整えるか、米国と協働して防衛するような同盟関係を結ぶしかないA前者の道は現実的でないので、道は後者しかないB後者の道を行くには、米国のために行使できる集団的自衛権を認める必要がある。
 そして、彼らは「自衛隊だけで日本の安全を守っていけるなんて幻想だ。尖閣を見よ。中国の軍事力の伸びを見よ」という。
 この論理でいけば、日本よりはるかに軍事力が劣るフィリピンやベトナムなどは、中国の軍事力に屈するほかないのであろうか。もう少し押し詰めれば、結局領有権の争いは、軍事力の強弱で決まることになるのか。

■道理に基づき
 きわめて素朴に考えても、それは違うと思う。平和と安全をもたらすのは、力だけではなく、道理(理性)がある。
 領有権をめぐって争いがあるときは、その解決を国際司法裁判所の「道理」に基づく判断に委ねる。その前提として、領有権をめぐる争いを武力で解決するのは違法であるというルールを確立する。そして、これに違反する疑いがあるときは、国際司法裁判所は、他方の国の同意がなくても審判し、状況に応じて差し止めを命じることができることにする。
 このような提案はこれまでに何度も行われ検討されてきた。けれども、たとえ審判が出ても執行機関がないから効力がなく、現実味がないという理由で相手にされてこなかった。
 しかし、世界の状況はドラスチックに変わっている。その原因はITの普遍化による情報伝達力の大発展である。争いの現状と原因に関する情報は瞬時に世界中に届き、世界中の住民は、どちらが「道理」にかなっているか、どちらが理不尽かを判断することができる。権力者は、たとえ独裁国であっても多数を占める国民の声や感情を無視できないから、結局多くの国々の施政者は、自国民の判断や感情を尊重して態度を決めるであろう。民主主義国においてはなおさらである。
 このようにして、世界の住民が国際司法裁判所における双方の主張の当否を、その生来の倫理感に基づいて判断することにより、「道理」の持つ力は、軍事力以上の影響力を獲得する。そして、国際司法裁判所の審判が執行力を伴わなくても、負けた当事国はその軍事力で審判を覆すような暴挙に出ることは困難になる。国際社会においても、理性が暴力に勝つ時をようやく迎えつつあるといえよう。

■憲法の精神で
 日本国憲法は、その前文において「日本国民は(中略)平和を愛する諸国民(筆者注・「諸国家」ではない)の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言している。ITの世界的普及により、「諸国民の公正と信義」が形と数字により現われる環境が出現したのである。私たちは、むき出しの軍事力によって欲望を実現する従来の道に戻るのではなく、憲法が定めた、「諸国民」つまり世界の普通の人々の信義によって正邪を決する道をあくまでも往くべきである。それが幻想でなく、現実に可能となっている今こそ、その道をはずれてはならない。
 それが「積極的平和主義」であろう。この道は、一方で米国との軍事同盟関係を維持しつつも、歩むことの可能な道である。もし政府が米国に遠慮してこの主張ができないのであれば、国会あるいは民間から世界に提言してもよい。世界諸国の国民の判断を信頼し、軍事力を控え、理性によって領有権を決めようという主張は、大多数の軍事力の弱い小国の支持を得るであろう。先進的な憲法の基本精神を遵守してその主張をする日本に対し、武力をもってことを決しようという態度を採る国は、世界からの非難を覚悟しなければならないであろう。

(信濃毎日新聞「多思彩々」2014.12.21掲載)

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