政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会

更新日:2018年9月5日

活力を生む公益法人制度を

 今年は現行の公益法人制度が実施されて10年になる。100年以上にわたる古い衣を脱ぎ捨て、民間の公益活動を高めて活力ある社会を実現しようとした新制度の目的は達せられたのか。
 地道な地域の助け合い活動は着実に伸びているが、公益法人が新しい活力を引き出している姿はほとんど見えないし、新公益法人の数が勢いよく増加するという現象も生まれていない。
 ボランティアが増えているのに、公益法人に活力が生まれないのは、なぜか。

■儲けられない

 大きな原因は、法人制度設計の誤りであろう。前向きに頑張るような制度になっていないのである。
 公益法人に関する税制度の改革の方は、すったもんだはあったが、良かった。たとえ収益が上がる事業であっても、それが公益目的事業であれば、それまでと違って、課税しないこととした。これでほぼ世界に恥じなくてよい税制度になった。
 ところが法人制度の方は立て付けが悪かった。その最たるものが、収支相償の原則である。公益法人認定法は、公益法人は公益目的事業の経費を超える収入を得てはならない、つまり、儲けてはならないとしたのである。こんな原則は以前にもなかったし、ほかの非営利法人にも、外国の公益法人にもない。
 収支相償の原則をまともに守る正直な法人は、徐々に資産を減らし、消滅する。現に悲鳴を上げ、公益法人を返上したいという法人が出ている。
 収入が経費を超えそうになって慌てて公益事業を縮小したり、余計な経費を使ったりすつ法人は、少なくない。収入が多い法人は、法で積立てを認められた事業準備金などに剰余金をもぐり込ませたりそれを取り崩したりして、収支がゼロになるように細工している。
 なぜこのようにやる気を失わせ、無駄な出費を誘い、会計の姿を歪め、法人の継続を困難にする原則を導入したのか。
 それは、制度を設計した側に「公益」の概念と機能の理解が不十分だからである。
 公益法人認定法は、公益を古くからの例に倣い、学術、芸術などと種別を列挙し、そのうち不特定多数の利益の増進に寄与するもの、と定義している。
 しかし、列挙されている「学術の振興」「芸術の振興」はじめほとんどの種別は、もちろん非営利の公益事業としてやれるものだが、塾や劇場のように、営利事業としてもやれるものでもある。そして、塾にしろ劇場にしろ不特定多数の顧客のためにやるものだから、この定義では、営利事業が入ってしまう。そこで、この定義から営利事業を追い出すためには、「利益を分配しない」というルールが必要になる。現に公益法人法は、解散後においても利益を分配しない立て付けにしている。つまり、公益法人と営利法人を区別し「公益」の概念を明確にするには、非分配ルールを採用することで十分であり、収支相償の原則は必要がない。

■「対等の立場」

 では、概念として、営利法人と区別する以外に、「儲けてはならない」という収支相償の原則を合理化する理屈があるだろうか。
 考えられるのは唯一つ、イコールフッティング(対等の立場)の理論である。
 要するに、公益法人が税制上の優遇措置を受けて公益事業をやり、それで儲けるのは、同種の事業を税を納めてやる営利事業と比べて不当に有利だから、公益事業としてやるべきでないという考え方である。
 公益法人が機能を高め、営利法人としても運営できる程度になれば、営利法人となり税を納めるべきだというのは、正しい考え方であろう。
 とすると「法人として健全な運営を継続できる上、株主にも常態として同業他者並みの配当ができる程度の儲け」を上げて競争に参加できる公益事業については、対等の立場に立つべきだということになる。つまりイコールフッティングの考え方からしても、収支相償は行き過ぎだということになる。
 加えて、この考え方からしても、寄付金を収入に加えて計算するのはおかしいことになる。寄付は、営利事業にはない収入だから除外して事業を比較すべきであるのに、これを算入すると、公益法人が寄付収入を抑制するおそれが生じ、寄付による公益活動の活性化を損なう。
 早急にこの間違った原則を改め、日本社会の活性化を図らなければならない。

(信濃毎日「多思彩々」2018.9.2掲載)
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