政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会

更新日:2020年1月22日

幸せに生き続けられる社会

 人類史上はじめて迎えた少子高齢化の流れも日本では(そして欧米先進諸国でも)ほぼピークに達し、社会は(そして国も)大きな転換期を迎えている。
 では、どの方向に転換していけばよいのか。
 その方向は、当然ながら「人類がより幸せに生き続けることのできる社会」であろう。
 その大きな目標からすれば、日本の社会は(そして世界中の社会も)、どの子どももどの高齢者も、障がい者も認知症者も過去に刑を受けた人も、そしてどの国から来たどの外国人も、それぞれの持つ能力を生かすことができ、いきがいを持って暮らすことのできる社会を目指すことになろう。
 AI(人工知能)がどれだけ発達して生産能力を高めようと、障がい者等を含むすべての人がそれぞれの能力を生かし自己存在を肯定して生きることのできる社会。これをどのようにしてつくるか。それは、生産能力を絶対的な価値基準とする現在の経済の仕組みを大転換して、すべての人の自己肯定感、充足感を絶対の価値基準とする経済の仕組みに変えることである。そのためには、契約の自由という基本は変えられないから、分配のあり方(共助の活動、環境および学習に対する相当割合の分配を世界基準として定めるなど)や企業経営のあり方、AIの活動範囲などを大胆に、総合的かつ世界的に調整して規律する知恵と実践が求められるであろう。日本だけでできることではない。
 あわせて、経済以外の仕組み(社会の規範、風習、文化)を大きく転換していかなければならない。言い換えれば、経済は自助を基盤とする仕組みであるから、そのほかに共助(互助)の仕組みをしっかりつくる必要がある。

■縮小した共助

 日本人は(そして世界の人々も)有史以前から、自助と共助の仕組みで暮らしてきた。人類とは、共助なくして維持存続できない動物である。
 ところがせいぜいここ数百年の間の技術の進歩が資本主義という仕組みをもたらし、自助の範囲を一挙に広げるとともに、その生み出した格差(経済的弱者の誕生、拡大)を公助で埋める仕組みを大きく発展させた。その反面、共助は縮小してきたが、現在は、明らかにそれが行き過ぎている。「人と人との共感に基づく助け合いが、人々にもたらす安心感と自己肯定感」という共助の本質が失われ、格差が生み出す経済的弱者だけでなく勝者(強者)も、孤立感、寂寥感に苛まれる人生を送る羽目に陥っている。人の本性に反する生き方から生じる当然の結果であろう。
 こう見てくると、非経済の分野における大転換は、共助の復活であることが明らかであろう。ただし、かつての共助は、個人(自我)の発達以前の、家父長的、支配的なものであったから、そのマイナス面はしっかりそぎ落として、個人の尊重を基盤とする共助の復活でなければならない。私が30年間、さわやか福祉財団の目標として掲げてきている「新しいふれあい社会の創造」というのは、そのことを言っている。

■自発的な活動

 以上に述べた二つの大きな転換を遂げるために、しなければならないことは山ほどある。
 まず、われわれ高齢者は特に、生産活動から引退しても、持てる能力がある限り、共助の活動を行う任務があるであろう。子どもの育成に協力するとか、生活能力を失った高齢者などの生活を支援するとか、社会のニーズは限りなく存在する。それを共助で満たすことにより日本社会は、経済力が落ちても持続可能となる。政府は、経済力の維持だけに目を奪われず、高齢者の幸せな生き方を実現するという総合的視点から、高齢者たちの自発的な活動を後方支援すべきであろう。
 子どもたちを偏差値競争に駆り立てるのは、政府も親も学校も世間も止めてほしい。彼らが未来社会で必要とするのは、どんな人も存在価値を認めて受け入れるとともに、人に役立つ自己の存在を最高と評価する価値観と人間力である。AI時代の社会は、その価値観がなければ悲惨な、持続可能性のないものになるであろう。
 働く人の主体的働き方の実現も喫緊の課題である。カネ中心からヒト中心への転換である。
 そして、大切なのが多様な外国人を受け入れ、それぞれの人間性を重んじた社会をつくることである。2、3世紀のうちに、世界中がそうなるからである。

(信濃毎日新聞「多思彩々」2020.1.19掲載)
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