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提言 世界
更新日:2015年11月6日
「弱者の連帯」を呼びかける

 弱肉強食は動物の世界である。人類はその野蛮な世界から、共生の世界へと進化した。その視点から国の内外を観察する。

 国の外で言えば、日本はアメリカの集団的自衛に加わることになった。

 問題の核心は、アメリカの集団的自衛権の行使は、日本からみれば、自衛権の行使ではないことである。典型例はイラク戦争である。アメリカはフセインが大量破壊兵器を所持しているから自衛のためにフセインを倒すと言って、攻め入った。しかし、生物・化学兵器は存在しなかったのだから、これは自衛権の行使ではない。では、これは誤想防衛かと言うと、誤想防衛ですらない。なぜなら、仮に大量破壊兵器を所持していたからと言って、それだけで攻め入る権利がないのと同じである。

 持っている兵器が何であれ、相手国が、自国あるいは連携国を攻めようとする「急迫した危険」がなければ個別的自衛も集団的自衛も成り立たない。そういう危険がないのにあると誤信した時は誤想防衛が成り立つが、フセインの場合はそのように誤想する状況すらなかった。

 アメリカの自衛権の範囲は、実務上日本よりかなり広いが、それにしても、イラク戦争をはじめアメリカが自衛戦争と主張する範囲は広すぎて、日本の考え方からすれば理解できない。

 しかし、理解できないからと言って、日本がアメリカの要請を拒むことができるか。存立危機事態がどうのと言っても、「この緊急時に何をわけのわからないことを言ってる。そちらは集団的自衛権を認めたとわれわれに言ったではないか。」と言われて拒めないことになる可能性が高い。

■理が力に勝つ

 では、どうするか。

 まず、アメリカ政府に対し、今回成立した法律は、その期待に反し、アメリカの集団的自衛に加わるものでなく、実質的には尖閣諸島の防衛など日本周辺における自衛に限定されることを繰り返し、説明することである。地域を限定しないなどというごまかしを言わない。

 あわせて憲法改正の手続きをとる。改正が通らなければ、集団的自衛の部分は廃案にする。本来憲法改正によるべきことなのだから、当然の措置である。

 ただ、憲法を守るという法治国家、民主主義国家としてあるべき手続きの問題と、中国の覇権主義の傾向に対しアメリカと組んで対抗すべきではないかという国際情勢の実態の問題とは、レベルが違って噛み合っていない。

 実態に着目しその危険の排除を優先する人たちは、今回の安全保障関連法案成立を歓迎している。

 その考え方の背景には、中国の力による勢力拡大には、軍事力を縮小しつつあるアメリカと組んで力で対抗するしかないという発想がある。それが現実的な大人の考え方だなどと割り切っている風だが、そうだろうか。

 中国の覇権を心配する周辺諸国が、世界で同様の立場に立つ軍事弱小国に呼びかけて、国際法順守や、領有問題の不明確なルールの改善、帰属認定を国際的に承認される形で明確にするといった運動を起こす方法があるのではないか。

 「理が力に勝つ」というのは人類進歩の原動力となる法則である。

 軍事弱小国が理に基づいて発展するよう、また軍事大国も理に基づかない力の行使により国民の多くに死や悲惨な生活をもたらすことのないよう、アメリカも巻き込んで、地道にその運動を展開すべきであろう。

■格差是正にも

 国内の大問題、格差の是正についても同じことが言える。

 経済的強者に対しては、非人間的な働き方の強要を自制し、理に基づいて人を(物でなく)人として処遇することを要請する。その一方、経済的弱者に対しては、人としての尊厳を保てるような働き方を実現するため、世界中の弱者が連帯するよう呼びかける。そういう運動を展開すべきではなかろうか。

 非人間的な働かせ方を生む資本の貪欲さを抑えるために、職種に対応するキメ細かな最低賃金の設定や、労働への分配率の設定、さらには一定以上の所得と資産に対する厳しい累進課税の設定などを国際的ルールにするよう、日本が世界に働きかけてはどうか。人類の進歩のために。

(信濃毎日「多思彩々」2015.11.1掲載)
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