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提言 世界
更新日:2022年5月19日
対ロ制裁で「言論の自由」に道を

 ウクライナ侵略戦争が東部攻防戦に絞られてきて、長期化の恐れが高まっている。文化を楽しみ、平穏に暮らしてきた個々の市民の生命や生活が無残に破壊されている様を思うと、やり場のない悲しさと侵略者に対する激しい怒りに包まれる。
 何としても侵略を止めさせたい。といって、武力の応酬拡大は絶対に避けたい。
 となると、諸国がこぞって強力な経済制裁を科し、ロシア国民に侵略終結を求める激烈な声を上げさせる以外に手は考えられない。しかし、それは余りにまどろこしい手ではないのか。

■制裁解除の条件

 確かに過去の経済制裁は、長期にわたり相手国民の生活を圧迫しながら、狙った効果を上げていない。それは、なぜか。
 簡潔にいえば、相手政権を追い詰めることしか考えていないからではないか。それなのに、何を達成すれば解除されるか不明瞭な制裁であったり、そもそも相手政権が応じるはずのない対応を求めたりしている。
 今回の制裁についていえば、プーチン政権に対し、クリミア半島や東部占拠地区からの撤退を条件としても、了承する見込みは皆無であろう。
 そういう条件よりも、私は、「ロシアが国民の言論を抑圧するという人権侵害を止めること」という条件を付すのがいいと考えている。
 それは内政干渉だという反論がまず考えられるが、その主張に対しては「人類普遍の価値である人権を守るためには、内政干渉も許される」という説明ができる。国家による特定民族に対する物理的迫害が国際社会の抑止すべき人権侵害であれば、国権の不当行使による言論の自由の抑圧も、人間の尊厳を奪う精神的迫害として制止されなければならない。
 プーチン政権がこの条件を受け入れるはずもないが、狙いは自由を求める国民が制裁解除の声を上げることである。専制国家は抑圧された国民の反乱の恐れという弱点を抱えている。
 二つめの反論は、時間がかかり過ぎるというものである。
 その通りであるが、武力制圧に出て世界戦争になる恐れを避け、平和な手段で侵略を止めるには最善の策かと考える。
 真実の報道に立脚する言論の自由は、心あるロシア国民にとっては強烈な魅力を持つであろう。経済制裁による生活苦からの解放に加えて言論の自由が得られるとなれば、人権意識に目覚めたロシア国民はプーチンを追い込むくらいの声は上げるであろう。ロシアは、曲がりなりにも投票の自由までは認める投票民主主義国家だからである。その前提になる報道と言論の自由は規制されていても、制裁解除の条件は、国民の生き方の基本に関わるニュースとして、SNS(交流サイト)等で拡散されるであろう。

■言論民主主義国

 国民の声に押されてプーチンが侵略、市民虐殺の責任で引退し、ロシアが投票民主主義のみの専制国家から西欧並みの言論民主主義国家に進展すれば、ロシアの北朝鮮化の恐れはなくなり、EU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)諸国は、もはやロシアの軍事侵略行為を警戒する必要はなくなる。仲間に迎え入れるであろう。
 すると、残る専制国家・投票民主主義の中国は、北側の長い国境を言論民主主義国家と接することとなる。専制の力を発揮するのは難しくなり、国民の間に報道や言論の自由を求める声は一挙に高まるに違いない。
 そして世界は、個人の幸せを最高の理念として共有する、侵略戦争をしない国の集合体へと発展するのであろう。
 この夢は、近代以降の歴史的発展を考えれば、2世紀もあれば実現可能だと考えるが、そう簡単には進まないだろう。
 国連安保理が抑止力を持たない現状では、言論民主主義国家やその方向を目指す諸国が連携し、勇気を出して強力な経済制裁を実施しなければならない。武力を否定する理性と人間愛優先による一致団結である。
 そして、それら諸国の住民は、経済制裁により自らも被る被害(生活苦)をロシア国民が決起するまで耐える覚悟をしなければならない。
 未来の全人類の幸せと平穏のために、言論民主主義、つまり個人主義の国々の住民は、わが身に降りかかる物価高をある期間我慢できるだろうか。
 専制国家による侵略戦争を根絶できるかどうかは、言論民主主義国の国民がどれだけ利己主義を自制できるかにかかってくるであろう。

(信濃毎日新聞「多思彩々」2022.5.8掲載)
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