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定期連載 挑戦−幸福づくり
更新日:2010年 6月10日

高齢者住宅のあり方

 人生の終わりになって施設や病院で暮らすのは、わびしい。できれば住み慣れたところで人生を全うしたい。それが、「尊厳」の基礎ではなかろうか。
 そういう思いから、2003年に発表した「2015年の高齢者介護〜高齢者の尊厳を支えるケアの確立に向けて〜」では、「介護を受けながら住み続ける住まい」の整備を求め、要介護になる前の「早めの住み替え」もできるように提言した。これに応じていわゆる高専賃(高齢者専用賃貸住宅)や小規模多機能型居宅などが考案され、一応の評価は受けている。
 2010年発表の「地域包括ケア研究会報告書」(田中滋座長)では、上記の考え方をさらに進め、2025年には、従来の施設を「ケアが組み合わされた集合住宅」と位置付けるよう提言している。「施設」を「住まい」に変えようということである。かねてから、「施設を家庭に」変えて高齢者の尊厳ある暮らしを実現しようと主張している私も「よくぞ言ってくれた」と手を叩いた。
 そういう流れに沿って、私がこの4月、中国を訪問し、「金色年華」というみごとな名前の大規模施設を見学して感じたことを、以下の提言にまとめた。
 その施設では、午前6時から、身体の動かせる高齢者が庭に出て、太極拳を始める。車椅子の高齢者も、手を動かしている。毎朝の太極拳の集いから入居者のつながりが生まれ、書道、二胡、合唱その他さまざまな趣味の会ができ、発表会も持たれる。それが、入居者同士の助け合いに発展する。
 施設入居資格は、「退職者」であること。「これだ」と思った。施設というより、集合住宅なのである。
 人生における住まい方を考えてみると、働いている期間あるいは子育てをしている期間は、いろいろな住まい方があってよい。住む場所を変える必要があったり、時に単身赴任することもあるであろう。
 しかし、子どもが独立し、退職した後は、気に入った場所で、夫婦二人、地域の方々とふれあい、助け合いながら、落ち着いて最後まで暮らしたい。介護や医療が必要な時は、可能な限り住み慣れた我が家で受けたい。
 それが一軒家であっても、アパートであっても同じである。
 問題は、要支援、要介護になってから住み替えたのでは、地域や同じアパートの人々とふれあい、助け合うのが難しいということである。太極拳でもラジオ体操でもジョギングでも犬の散歩でもよいが、住み替えるなら元気なうちに住み替え、いろいろな活動をしながらつながり、ふれあい、やがて助け合う仲間になっていくという道筋が必要である。できれば、退職が見えてくる50代に、夫婦でよく相談し、子どもを独立させて退職後の人生を快適に過ごす住まいを見つけたい。そして住み替えは、その1回限りにしたい。
 そのようにして住み替えた人にも、また、一生住み替えない人にも必要なのは、つながりを生み出す環境である。居場所と時間通貨はこれまで仕掛けてきたが、地域における朝の体操もこれから勧めていきたい。私と妻が甲府の検事正官舎に移り住み、すぐご近所の方々と助け合う関係になれたのも地域における朝の体操のお陰である。
 地域のつながりができると、高齢者が持つさまざまな能力を、地域の人々のために生かすことができる。それがいきがいを生み、人生の後半を充実させる。そして、介護予防になり、また、介護を受ける立場になっても、なお自分を生かす意欲と技量を持ち続ける原動力になる。
 そういう住まいに、介護や在宅看護・医療が届けば、「終生在宅、常時尊厳」の夢がかなう。
 今の集合住宅を、そのような生活ができるものに変えることも不可能ではない。
 まず私たちからやってみませんか。

(『さぁ、言おう』2010年6月号)

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 [日付は更新日]
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2010年 4月 9日 「いきがいの確保」を「ケア」と並ぶ柱にしよう
2010年 3月10日 つながって生きる遺伝子
2010年 2月10日 非営利・共助の社会を創り出す戦略
2010年 1月 7日 私は人生の主人公
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