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定期連載
更新日:2010年4月22日

ケアされる側にいきがいを

 2012年は診療報酬と介護報酬の改定の時期が重なる年である。この時をとらえて政府は、医療や介護のあり方を大幅に見直す閣議決定をしている。
  その視野には入っていないが、私は、その際、医療・介護などのケアの体系に、「いきがい」の体系を組み合わせる仕組みを作ってほしいと願っている。
  ここでいう「いきがい」は、ケアする側の人のいきがいではなく、患者や利用者などケアされる側の人(本人)のいきがいである。
  医者や看護師、ヘルパーや家族などからすれば、大変な苦労をしてケアしているのであり、本人は感謝されて当然と感じるのかも知れない。しかしケアされる本人からすれば、たしかにありがたいのではあるが、それで生きている喜びを感じられるかといえば、そうではないであろう。
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  ケアされることは、一面では悔しいのである。自分でできないことが残念だし、ケアする人に卑屈になり、したいことを抑えてしまう自分が情けない。
  そういう思いを抱えていては、「尊厳の保持」はできない。それは、介護保険法1条に定める介護の最終目標であり、最近は医療の目標としても認識されつつある。その目標が、医療や介護のサービスを提供するだけでは、実は達成できないのである。 
  人は、ケアされる身でありながらなお人の役に立ち、人に喜ばれ、あるいは自分のしたいことができ、人から認められてはじめて、生きている喜びを実感する。それが本人のいきがいなのである。そして、本人がいきがいを感じてはじめて、ケアする人たちに対する感謝の気持ちが湧いてくる。
  ホスピス病棟で墨絵を教えたり、あるいは傾聴ボランティアをして最後まで充実した日を過ごした患者、剪定(せんてい)や不登校の児童の指導、折り紙細工などをするうちに生きる意欲をよみがえらせ、身体能力も大きく改善した重度の要介護者など、ボランティアの現場では「いきがい」の力が如実に示される例にはいとまがない。心ある医師、看護師やヘルパーには、日常的に気がつく現象ではなかろうか。これは認知症患者についても、共通する現象である。
  ケアによる安心と本人のいきがいが合わさってこそ、尊厳が確保されるのである。
  そういういきがいの体系を担う主体は、家族、ボランティア、近隣の知人などである。ケアをする人は、いきがいの実現が必要だと認識し、それに配意してくれればよい。ケアマネジャーは、いきがいの確保を組み合わせる作業をしてほしい。そして行政は、いきがいを実現するボランティア活動を背後から支援するとともに、家族など一般の方々に、いきがいの重要性の認識を広めてほしい。
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  これまで長期入院患者や要介護者を念頭に述べてきたが、いきがいを必要とし、それが身体能力の維持、回復面でも有効なのは、要支援者や元気な高齢者についても同じである。いきがいの実現こそ最高の介護予防であると断じてよい。就労や社会貢献活動を含め、すべての高齢者が活用できるいきがい実現の体系を樹立し、これを既存のケアの体系と組み合わせる仕組みを、官民一体となって作り上げたいと切望している。
 
 
(信濃毎日新聞「月曜評論」2010年4月19日掲載)
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