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定期連載
更新日:2013年4月3日

集団的自衛権の中身を詰めよ

 安部新政権の登場に伴い、またまた集団的自衛権の問題がクローズアップされてきた。
 確かにこの問題は歯切れが悪くて、法律家でなくても、すっきりしたいという気持ちになる。
 集団的自衛権(自国と密接な関係にある国が武力攻撃を受けた場合、自国が直接攻撃されていなくても、実力をもって阻止する権利)は、第2次大戦後の国際規範である国連憲章の51条によって、国連加盟各国の固有の権利と認められた。自国を守るための個別的自衛権については当然であるが、同条は、集団的自衛権も固有の権利と規定したのである。日米安保条約などでも同様に認められた。
 ところが、日本の憲法は、9条で、戦争や武力行使を放棄した。
 そこで内閣法制局は長らくの間、「集団的自衛権の行使は、憲法の制約により、武力行使としてはできない」旨答弁している。
 しかし、個別的自衛権及びその行使が固有の権利として認められるのに、同じく固有の権利である集団的自衛権についてはその行使が認められないのはおかしいとの疑問はくすぶり続けている。確かに法制局の解釈論はすっきりしない。
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 では憲法解釈を変え、あるいは憲法を改正して、集団的自衛権の行使を認めればすっきりするのか。これがそうもいかないのである。
 さまざまな問題があるが、最大のものは、米国などの強国が行う自衛権の解釈が、日本よりはるかに広いことである。
 米国は、1958年のレバノン出兵やベトナム戦争における旧南ベトナム政府支援、ニカラグア出兵などを集団的自衛権と主張したし、旧ソ連なども、チェコ侵入を集団的自衛権と主張した。イスラエルが隣国に対してしばしば行った空襲なども、自衛権と主張し、米国はこれを支持している。イラク戦争の時も、米国は「先制的自衛権の行使だ」と説明した。そして、その多くの主張について、国際司法裁判所の判断はない。
 一方、日本では、国会における何度かの答弁によっても、自衛権は正当防衛権と同様に解釈されている。つまり、急迫不正の侵害に対し、自己または他人の権利を守るため、やむを得ず行う行為ということである。正当防衛の解釈は、刑法上相当固まっており、まだ攻撃に着手されていないのに、その恐れがあるというだけで先制攻撃をすることはできないし、喧嘩には正当防衛は適用されない。また、正当防衛としての攻撃も、侵害を排除するために必要最小限でなければならず、相手の家に上がり込んで「参った」と言うまでやっつけるなどというのは違法である。
 国の自衛権の内容と、個人の自衛権(正当防衛権)の内容が異なるという説は聞かないから、日本のこの考え方を当てはめれば、先にあげた米国、旧ソ連などの自衛権の行使は、集団的自衛権であるとしても、認められないことになる。先制的、あるいは予防的な自衛権の行使はありえないし、相手国に入り込んで戦うことも、よほど特別な条件がそろわない限り違法だからである。
 しかし、日本が憲法上、集団的自衛権の行使を認めた場合、米国から日本の防衛に関係ないのに「集団的自衛権の行使だから貴国も参加せよ」と言われて、これを拒むことができるだろうか。
 日本で解釈を変える前に、米国と自衛権の解釈を詰める方が先ではなかろうか。

(信濃毎日「月曜評論」 2013.1.14掲載)

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