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提言 生き方・その他
更新日:2007年9月4日

わが人生の転機
やりたいことをやる

  私が検事を志したのは、威張った人が大嫌いだからだ。威張っている人は、権力を自分のために使って、人を不幸にする。
  小学生のころから、教師の権力をカサにきて、生徒の気持ちなどおかまいなしに怒鳴る教師が許せなかった。中学時代には、理不尽な暴力を振るう教師の謝罪を求めて、抗議活動を展開した。
  右翼も左翼もいやで、といって企業に勤める気もなかった大学時代、大阪地検特捜部が摘発した浴場汚職事件は、目が覚める思いであった。選挙で選ばれていながら選挙民を裏切り、私腹を肥やす議員を一網打尽にする特捜部検事。単純な私はたちまち人生の方向を決め、あの無意味な法律の暗記に熱を入れて司法試験に合格、あこがれの検事になった。
  検事の仕事は、楽しかった。目指すは特捜検事であるが、コソ泥事件も食い逃げ事件も売春事件も少年事件も、それぞれに人間がムキ出しで、日々、大変な人間勉強、社会勉強であった。
  札幌地検を振り出しに、旭川、大津とまわりながら、汚職や選挙違反の掘り出しに励んだのが認められて、念願の大阪地検特捜部入りがかなったのは検事7年目。末輩の検事ながら、読売新聞社会部記者の協力で、大阪府下の名物社会党市長を汚職事件で検挙した。結婚3年目、市長取調中に長男が誕生、人生前半の絶頂期であった。
  人生中盤の絶頂期をロッキード事件の頃とすると、検事生活30年、うち特捜部勤務は、10年に過ぎない。あとは、法務省勤務が10年、在米日本国大使館勤務が3年半。経歴としては大変恵まれており、事実、どこの勤務も充実感があった。
  工夫を要したのは、法務省や在米大使館での勤務である。自分が志した仕事ではないから、その仕事に打ち込むためには、自分なりの目標が必要である。私は、転勤を命じられるたびに、新しい職場における自分の目標を立てた。誰にも言わない、自分だけの目標である。たとえば大阪地検特捜部から法務省刑事局に転勤を命じられた時は、心底がっかりしたのであるが、心を立て直し、「理論が混乱している脱税事件の基礎理論を構築しよう」という大それた目標を立てた。そして、脱税の調査や捜査の実態に合うよう、膨大な判例を整理した。面白かった。
  そういうわけで、30年の検事生活に悔いはない。常に自分を燃焼しつくし、成長することができたし、人様のお役にも立てたと自負している。
  それが、定年まで6年を残して辞めたのは、目標を立てて自分を励まそうとしても、もはや心がついて来なくなったからである。私は57歳、法務省の官房長になっていた。人事課長時代に仕掛けた司法改革は、現検事総長の但木敬一さんや法務省の現次官である小津博司さんらの知恵と努力で、その第一段階である基礎の仕組みが完了した。もちろん借地借家法の改正など、ほかの重要法案もあるから、官房長として政治家に働きかけざるを得ないが、これが精神衛生上はなはだよろしくない。こんなことを書くのははじめてであるが、一部の志の高い方を除けば、彼らはただ威張っていた。汚職か何かで摘発するのが国民のためだと思うような腐った人もいた。日本の進路を決める政治がまだこのレベルかという失望感は大きく、私は、新しい市民の力が必要だと痛感した。
  それに、法務・検察にとどまっていても、もはや特捜部検事になれる年齢ではなくなった。皆とワイワイ事件をやるのが好きな私は、地位が上がるにつれて人が遠ざかっていく幹部管理職の孤独が身に染みた。
  私は、自分の心に忠実に、つまり、わがままを言って、退職を認めてもらった。
  上司の引き止めもさりながら、仲間や部下から「検察の改革を期待していたのに、逃げるのか」と非難されたのはこたえた。それでもわがままを貫けたのは、どうしてもしたいことがあったからである。それが、わがさわやか福祉財団が掲げる不変の旗印「新しいふれあい社会の創造」である。
  個性やプライバシーを尊重したうえで、助けあい、ふれあうあたたかい社会に日本を変えていきたいとの思いを抱いたのは、在米日本国大使館勤務時代の30代後半であった。そのいきさつは語りつくしたので書かないが、要するに、英語が全く話せなかった息子たちが、アメリカのボランティアや近隣の方々の助けでスムーズにアメリカ社会にとけ込むことができたのである。単純な私は、ボランティア普及を人生後半の夢としようと心に決めた。それが転身の動機である。
  転身して16年、私の人生後期は、前期、中期と同様に、面白く、充実している。
  ボランティア活動は、着実に広がり、根付きつつある。さまざまの仕掛けが8割以上の確率でヒットし、成果を上げている。財団の職員は、常勤のボランティアの方々を含めて60名弱、それぞれに志を持って好きなように活動を展開している。全国の仲間たちは数知れず、どこへ行っても誰かが現れ、手を握リ合ってエールを交わす。財政面でも、何千の方々からゆるぎない支援を継続して頂いている。第三の絶頂期だと思う。
  団塊の世代が退職期に入ったが、ボランティアや地域活動にはまだほとんど姿を見せてくれない。まだ若いのだから、それはもう少し先のこととして、ベンチャーやNPOの立ち上げにも動きが見えないのは、さびしい。
  自分がやりたいことをやって生きるのが最高の人生だと、私は思う。戦略を練って挑戦し、損をしそうになったらさっと引けばよい。人生の大きな思い出になる。
  そして、気持ちが落ち着いてきたら、新たな挑戦の意欲が湧いてくるであろう。挑戦は、クセになるからである。
(文藝春秋2007Autumn No.2季刊秋号「私の仕事 私の生き方」掲載)
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