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定期連載 挑戦−幸福づくり
更新日:2007年11月07日

コムスンの教え

  介護保険制度が発足した時は、行政はサービス事業者をそろえるのに必死であった。制度あってサービスなしとなると、責任が生じるからである。
  利用者に選択権を与えたのは画期的であるが、施設は急にはそろわない。しかし、在宅サービスも提供できないとなると、保険者(市区町村)の責任は大きい。彼らは、たとえば資格者要件などには目をつむって、事業者指定をした。
  措置制度の下、介護サービスをほぼ独占してきた行政・公社・社会福祉協議会は、冷たかった。介護保険制度のもと営利事業者やNPOの参入が認められると、厳しい労働条件の競争に尻込みし、サービス不足には目をつむったのである。それでも彼らは、「福祉を営利事業者が担うのはおかしい」とつぶやいていたが、それを尻目に、営利事業者の参入ぶりはたくましかった。中でもコムスンは、制度発足後6年間で全国に訪問介護事業所1268か所、居住系施設213か所、従業員約2万4000名の規模に達した。その中には、深夜・早朝サービス932事業所(その地域に同サービスをコムスンだけが提供している事業所は374)が含まれ、今も約8000名がこれを利用している。赤字が確実な僻地・離島サービスや障害者自立支援サービスも、資金や人をやりくりして行った。
  行政は、そのコムスンの8事業所における虚偽申請を理由に、コムスン全事業に対する指定などを行わないことに決めた。サービスの質の向上を図ろうとしたのである。
  実際、介護保険5年目の見直しに当たっては、私が座長を務めた高齢者介護研究会としても、2003年の報告書で、質の向上を打ち出していた。事業者の参入もそこそこあって、量より質へとサービスを高めることが可能になりつつあったからである。
  ところが、本年に入って一般の就職状況の好転を反映し、介護職員の流出が顕著になった。事態は再び、質の前に量をいかにそろえるかの段階に逆戻りしようとしている。
  その中で、コムスン全事業の廃止は衝撃が大きく、その事業承継者を選ぶ作業は、難事業であった。事業を利用している人々の間の不安感は強く、従業員たちも辞めていく。一刻も早く承継者を決めて、事態を落ち着かせなければならない。しかもその承継者は、深夜・早朝サービスなど、単独では赤字になる事業も引き継ぎ、必要な人員を切れ目無く確保する意欲と能力を持っていなければならない。
  多数の弁護士や公認会計士などが精力的に協力してくれ、都道府県も十分な情報を提供してくれたこともあって、ほぼ1か月で承継者を選ぶことができたが、残念なのは、地域の事業者たちの参加が少なかったことであった。特に在宅サービスは、地域に活動の根を張った事業者の方が、一般に、心に届くきめ細かなサービスを提供してくれると期待できる。だから、そういう事業者には、他の条件はかなり緩やかにして選定しようと試みたが、結果は、47都道府県のうちNPO法人が1つ、福祉系社会福祉法人が2つ、病院系の法人が2つであった。
  早朝・深夜サービスなどを引き受けるのは、ふれあいボランティアに軸足を置くNPOには、初めから無理な話である。介護保険事業に専念する非営利団体であっても、専門性を高め、プロの職員をしっかり確保する能力を持っていないと、経営は厳しい。社会福祉法人や生協などのほとんどが手を挙げられなかったのは、その体制を整える自信がなかったからであろう。
  介護サービスの質の向上の課題は、何年か先になりそうである。非営利団体も、私たちのようにふれあいに重点を置き、それぞれの地域ごとにネットワークで「尊厳の確保」という質の向上を目指すのか、それとも事業体として組織を整え、介護サービスの質自体の向上を目指すのか、分かれ道に来ているのであろう。
(『さぁ、言おう』2007年11月号)
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