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定期連載 挑戦−幸福づくり
更新日:2013年12月11日

新地域支援制度の設計

 2年後から、要支援者に対する生活支援サービスを市町村の地域支援事業に移管する作業が始まる。そこで、私たちは、新しい市町村のサービスをどのようなものにするのがよいかについて、厚生労働省やこの分野の識者たちと研究を重ねている。新地域支援制度のあり方を考えるに当たり、それが出たとこ勝負のちぐはぐなものにならないよう、私たちの基本的な考え方を整理したのが、最後につけた理念図である。

尊厳保持とその支援

この図のタイトルは「尊厳保持とその支援」である。尊厳は、医療や介護の究極の目標として法律にも定められている「人としての価値」であり、それを保持するのは、第一次的には本人の責任であるが、心身の機能に欠け、本人の自助努力だけで尊厳を保持できない時は、家族・仲間などの共助(互助)の力による支援が必要となるし、それで満たされない分は、公的な制度による支援も必要となる。このタイトルを「尊厳保持の支援」としなかったのは、支援だけでなく、自助努力をするのが大前提だということを表すためである。自助努力をせず、ただ依存するだけの生き方からは尊厳は生まれない。
尊厳は、その人がその人らしく生きることから生まれるのである。そのように生きることが、その人の人としての幸せを生む。その幸せを、人の欲求充足という切り口から分析した結果が、アブラハム・マズローの「欲求の階層」である。マズローの欲求分析をもとに自助、共助(互助)、公助などと幸せとの関係を考えた結果は、拙著『心の復活』(1997年NHK出版、2001年PHP)に書いたが、理念図で、自己実現、愛情・承認欲求、生理的欲求、安全欲求とあるのは、マズローの欲求分析を踏まえている。自己実現がいきがいであり、自己を実現しつつ(つまり、その人らしく)生きている姿が「尊厳の保持」である。なお、ここでいう「自己実現」は、マズローのそれよりはるかに広く、認知症になっても、あるいは、人生の終末期にあっても、その人らしい生き方をしていることが自己実現となると考えている。

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 一方、介護保険法には、「自立」が、尊厳保持の次のレベルの目的と定められている。そこでいう「自立」は、自分の身体の機能を自分の意思によって発揮するという「身体的自立」のことである。医療は、身体の機能を自分の意思で発揮できる状態にするため、あるいは、ある機能が発揮できない状態の悪化を防ぐために行われる。リハビリも同じ目的である。介護は、発揮できない機能を補い、本人がしたい行為(食事、排泄、入浴など)を補助する行為である。それを「自立」を目的として行うという意味は、本人ができることまでやったりせず、なるべく本人のできる行為の範囲を広くするように補助するということである。
 本人の生きる営みが「生活」であるが、身体機能が衰えると、満足な生活が営めなくなる。その状態が「要支援」「要介護」状態であり、食事や家事など生きるのに基本的に必要とされる活動について自助努力を補うのが要支援、要介護のサービスである。これら医療(看護を含む)や介護のサービスは、「身体的自立」を補うためのものといえる。
 しかし、「身体的自立」は、それ自体に絶対的価値があるのではなく、身体を自分の意思で動かし、それがかなわない時は、介護者などの手を借りて動かすことによって、自分の思いを遂げてはじめてその人にとって価値が生まれる。つまり「身体的自立」は、「精神的自立」に役立ってこそ価値を生じるものであり、だから「精神的自立」の手段だということである。
 その精神的自立の基礎になるのは、知的、精神的機能である。その不足を補うのが、親権や成年後見制度、権利擁護制度であり、機能自体の維持・回復や生活維持まで含めて精神的ケアや認知症ケアが行われる。必要なときはそのような支援も受けて、精神的機能がその人らしく生きるために発揮される時に、いきがい(生きている喜び)が生まれ、その人の尊厳が保持される。そして、「ふれあい」(愛情・承認欲求の充足)は、精神が安らぎ、生きるための活力を得ることができる活動であって、それ自体、人として生きていくために欠くことのできない活動である。人とのふれあい自体がいきがいとなったり、ふれあいからいきがいを覚える活動が生まれたり、両者は密接不可分の関係にある。マズローも、「自己実現」「承認」「愛情」の欲求は、階層的でなく、すべて同等の重要さを持つと言っている。
 なお、身体的自立と同様に、精神的自立を支えるものに「経済的自立」がある。経済成長期(50年代から70年代頃)には、経済的に自立していることが人の価値を高めるように思われていたが、経済的自立自体は、身体的自立と同様、絶対的価値を持つものではない。経済的自由度が高いことが、その人がしたいことをし、自己を実現していきがいを生み出してはじめて価値を生じるものである。

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 人が、ふれあい、いきがいをより感じ、より尊厳をもって生きることができるのは、施設や病院より自由度の高い在宅であって、在宅重視、Aging in Placeなどの福祉の政策目標は、ここから生じる。
 そのための政策である地域包括ケアは、尊厳保持に必要なサービスが、すべて地域で、本人のニーズをもっともよく満たせるように連携して提供される体制及びその運用をいう。行政の解説図によく示される医療、介護、介護予防、生活支援、住まいの5つは、尊厳保持のための支援の代表的なものである。しかし、尊厳の保持には、それら5つがそろえば足るというものではない。
 コミュニティー崩壊の現状に照らせば、ふれあいのための多様な居場所を設けることや、いきがいを生み出す社会貢献や学習の場の提供も、身体的支持や経済的支援(自立の補充)に劣らず、重要である。むしろ、尊厳保持に直結するだけに、その重要性は、より高いと評価することもできる。
 それらふれあい、いきがいを生む環境づくりは、公けの責任というより、共助(互助)の仕組み(NPOその他の非営利法人や地縁組織など)や自助の仕組み(営利事業)でつくるのが筋である。ふれあいやいきがいは、自律性がいのちで、個別性が高いものだからである。
 ただ、経済重視がますます強くなっている現代社会において、これらの活動を生み出すことは、容易なことではない。活動の基盤整備や必要な範囲での活動支援は、行政が行わなければ、広がりは望めない。
 この視点をしっかり持って制度設計してこそ、市町村は、住民に幸せをもたらし、その満足を得られる新地域支援制度を、現行制度より少ない財源負担で実現できるであろう。

(『さぁ、言おう』2013年12月号)

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