政治・経済・社会
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定期連載 堀田力のひとりごと
更新日:2008年8月8日
 悪は断固許さず、小さなことに目くじら立てず、生き方の基本は変えず、時代の流れを素直に受け止め、 ゆるがず、しかし、やわらかに、一生を送りたい。

(『さぁ、言おう』2008年8月号)

更新日:2008年7月9日
 ュージーランドに留学した高校生池部敦君が書いた『さらば「受験の国」』(朝日新書)は、みごとに日本とニュージーランドの教育の違いを教えてくれる。
  日本の教育は、教科書→記憶→テスト。
  ニュージーランドの教育は、ディベート→調査→リポート。
  日本の高校生たちは疲れておりニュージーランドの高校生たちは目を輝かせている。

(『さぁ、言おう』2008年7月号)

更新日:2008年6月10日
 がわからないのにサービスが減ったり、負担が増えたりすれば、怒るに決まっている。
  その時にすべきことは、@サービス減や負担増が合理的なものか、A合理的ではないがやむを得ないものか、B非合理的で認められないものかを全体状況の中で判断し、@Aならそれをしっかり説明することであり、Bなら合理的な案は何かを提案することである。
  道を誤ると、多大な労力が空費される。

(『さぁ、言おう』2008年6月号)

更新日:2008年5月13日
 いを認めなければ、人とネットワークは組めない。

(『さぁ、言おう』2008年5月号)

更新日:2008年4月10日
 の評価は、難しい。
不信感を持っている相手に対しては、いっそう偏った評価になり勝ちである。
不信感を持たれないための最低条件は、誰に対しても誠実であることだろう。

(『さぁ、言おう』2008年4月号)

更新日:2008年3月10日
 が「そんな法律は守らなくてよい」と言うと、ほとんどの人が「法律家がそんなことを言って良いのですか」と驚く。
  法律つくりの舞台裏を知っているから言うが、法律には、基本が間違っているもの、古くなって時代に合わないもの、改めるべきなのに改まっていないもの、初めから守られないことを前提につくっているものなど、守らなくてもよいものがけっこうある。
  ただ、それを判断するのは、すべて自己責任である。健全な常識、広い知識、深い思考力と洞察力などを常に磨いておかないと、リスクが発生する。

(『さぁ、言おう』2008年3月号)

更新日:2008年2月7日
 きく事業を展開する能力を持つ人に、ささいなことにこだわる硬直化した組織の管理をやらせたりすると、人としての器(うつわ)が小さく、いやしくなることがある。  逆に、容量の小さい人物に、急に大き過ぎる仕事を任せると、ヒステリーを起こす。  適材適所が大切である。

(『さぁ、言おう』2008年2月号)

更新日:2008年1月10日
ままならぬ
政事(まつりごと)かな
初の霜

  見、平穏なようである。しかし、国の土台が時代に遅れ、持たなくなりかけている。
  あっという間の崩壊に至る前に、歯を食いしばって立て直す必要がある。
  市民のやる気を信じ、引き出すほかに、方法はない。

(『さぁ、言おう』2008年1月号)
更新日:2007年12月7日
 登校の子どもたちのフリースクールの運営などを行っているNPO法人アンガージュマン・よこすかでは、「勉強していないから」と高校受験を怖がる子に、「学力は低下しない。知識と情報(学校知)が少ないだけ」と伝える。
  そして、「高校受験はテクニックだから、とりあえず合格するための学習をしよう。本当の勉強は、進学してからすればよいから」とすすめるのだという。
  そんなことを言われなければならない入学テストや学校教育でいいのだろうか。
(『さぁ、言おう』2007年12月号)
更新日:2007年11月7日
 に授業をしたい教師と、子どもに何が何でも勉強させたい親の代表が集まって、教育のあり方を決めている。
  かわいそうな子どもたち。
  心配な私たちの未来。
(『さぁ、言おう』2007年11月号)
更新日:2007年10月10日
 力は十分あるのに、私的な感情にとらわれて判断を狂わす人が多い。
  私的な感情を離れるのが難しいのは、それが生存本能に由来するからであろう。  
  冷静に判断できる友が必要である。
(『さぁ、言おう』2007年10月号)
更新日:2007年9月6日
 格は、利己心を抑制して他をおもんばかるおおらかさに宿ると思う。
(『さぁ、言おう』2007年9月号)
更新日:2007年8月9日
 ける余力がないのに、助っ人を引き受けるのは、無責任である。

 −−−−− 社会保険庁最高顧問を引き受けた苦い体験から得た教訓

(『さぁ、言おう』2007年8月号)
更新日:2007年7月4日
 の中のあらゆる制度や仕組みは、人をより幸せにするために設けられるものである。
  その制度や仕組みがあるために、それがない場合よりも不幸になる人が出てはならない。
(『さぁ、言おう』2007年7月号)
更新日:2007年6月6日
 芸に秀でる人間と、平均していろいろなことをこなせる人間と、どちらがいいだろうか。
  私は、どちらもいいと思う。どちらも社会に必要だし、どちらも、自分を生かして幸せになれるからである。
  多様な人間をまとめて、全体の平均点を上げようとする試みほど意味のないものはない。
(『さぁ、言おう』2007年6月号)
更新日:2007年5月9日
 る杭を伸ばそう
(『さぁ、言おう』2007年5月号)
更新日:2007年4月7日
 や快さ、美しさなどはこころの問題であって、政治や行政が仕切るものではない。
  政治や行政は、国民・市民が安んじて暮らせる社会にすることに専念してほしい。
(『さぁ、言おう』2007年4月号)
更新日:2007年2月9日
 どもたちは、自分が認めて もらえないから、傷ついている。
  その心をいやすには、ふれあ いボランティア活動が最適であ る。なぜなら、それは、お互い を認め合うところから始まるか らである。
(『さぁ、言おう』2007年2月号)
更新日:2007年1月9日
 木枯らしや
  わが行く道は
  なお真直ぐ
 
  せの絶対的前提条件は、平和である。
  憲法が示した道を、なお真直ぐに進むのが、戦争の悲惨を体験した者の、人類に対する義務であろう。
(『さぁ、言おう』2007年1月号)
更新日:2006年12月6日
 せと挑戦とは、心と身体のように一体不可分の関係にある。
(『さぁ、言おう』2006年12月号)
更新日:2006年11月9日
 張と、リラックス。
  そのバランスを上手にとる人が、一番いい人生を送るように思う。
(『さぁ、言おう』2006年11月号)
更新日:2006年10月5日
 知症の不安を取り除く方法は、すべての人が認知症の人をありのままに受け入れ、あたたかく支える社会にすることである。
  認知症の人が増えるという事実が、私たちに、高度なふれあい社会を実現することを求めているのである。
(『さぁ、言おう』2006年10月号)
更新日:2006年9月6日
 「市民の力を存分に生かして、市民のための日本をつくる!」
   それぐらいのことをいう総裁候補が現れてほしい。
(『さぁ、言おう』2006年9月号)
更新日:2006年8月9日
 題が起きた時、アッという解決策を思いつくタイプの人と、さっぱりアイデアが出ない人とがいる。
 平素、何事にも前向きに取り組んでいる人と、難しそうだと思うとすぐ逃げたがる人との差のように思う。 
(『さぁ、言おう』2006年8月号)
更新日:2006年7月11日
 名な学者のAさまへ
  あなたがボランティアをしたくないし、されたくもないというお気持ちは、私たちも大切にします。
  だからといって、ボランティアは偽善だとか無責任だとか役立たずだとか、一般的にボランティアをおとしめるような発言をされるのは、いかがでしょうか。
(『さぁ、言おう』2006年7月号)
更新日:2006年6月9日
 の心が荒れてきている。
  生命をいとおしみ、生きている喜びを分かち合い、ほほ笑みを交わして、自分の時間を満ち
  足りたものにしていきたい。
(『さぁ、言おう』2006年6月号)
更新日:2006年5月2日
 敗をしたことのない人の判断には、あやうさがともなう。
  失敗を反省したことのない人についても、同じである。
(『さぁ、言おう』2006年5月号)
更新日:2006年4月7日
 きる力を構成する要素としては、論理的思考力よりもむしろ感性の方が大きいくらいである。
  ところが、論理的思考力は教え込めるが、感性は教え込めない。
  日本の教育の問題は、感性を伸 ばすことの重要性が認識されていないことにある。
(『さぁ、言おう』2006年4月号)
更新日:2006年3月14日
 だって猫だってそれぞれ性格が違うのに、人間が違っているのは当たり前だ。
(『さぁ、言おう』2006年3月号)
更新日:2006年2月15日
 争は、人殺しである。
 もう人殺しはやめたい。
(『さぁ、言おう』2006年2月号)
更新日:2006年1月10日
 の地には その地の雑煮 初詣
 毎年の駄句で恐縮だが、人々の生き方は、地域により、それぞれに違うということを詠んだつもりである。私たちの活動も、地域や個々の人々の心の特性まで細かく配慮して方法を考え、展開するレベルに入ろうとしている。なかなか進まないように見えて、進歩は速い。
(『さぁ、言おう』2006年1月号)
更新日:2005年12月16日
 分の意見と違う意見を受け入れる容量の広さは、自分の意見に自信を持っていることとは矛盾しない。
  本当に自分の意見に自信があれば、自分と違う意見の持つプラスな点を認めて受け入れたうえで、そのマイナスな点について相手にわかるように説明できるはずである。
(『さぁ、言おう』2005年12月号)
更新日:2005年11月16日
 間関係のストレスに悩む人が多い。しかし、人間関係は気にし出すときりのない話で、出口が見えない。
 そういう時は、熱中できることを見つけて、そちらに集中する。そうすると、もとの悩みが実にくだらないことに見えてくるだろう。
(『さぁ、言おう』2005年11月号)
更新日:2005年10月6日
 が一緒に仕事をしたり、暮らしたりする限り、違う意見の人が出てくるのは当たり前のことである。
 意見が違っても、信頼関係があれば問題は解決できる。
 信頼関係がない時は、相手をどこまで理解できるか、努力することである。相手も同じ人間なのだから、大抵のことは理解できる筈である。そして、理解は信頼につながる。
(『さぁ、言おう』2005年10月号)
更新日:2005年9月16日
 物の一種としての人間という原点に戻れば、人は、定年などという人為的な制度にとらわれず、いくつになっても、自分のため、そして人のために、できることをなすべきである。それが、生きるということであろう。
(『さぁ、言おう』2005年9月号)
更新日:2005年9月16日
 いてなお現実をみつめ、若々しい好奇心を燃やす。
 その一方で、死をみつめ、「空」の心境に至る。
 この両者を、両立させたい。
(『さぁ、言おう』2005年8月号)
更新日:2005年9月16日
 度すり込まれて、思い込んでしまったことを訂正するのは、難しい。
 安定している時代にはそれでよいが、激動の時代には、時代をとらえる鋭いセンサーで、自分の思い込みを訂正していく謙虚さが必要である。
(『さぁ、言おう』2005年7月号)
更新日:2005年9月16日
 とりでいると、さみしくなる。
 どんなにお金があっても、どんなに地位にめぐまれていても。
(『さぁ、言おう』2005年6月号)
更新日:2005年9月16日
 しいからこそ、助け合い、分かち合って幸せな人たちがいる。
 富んでいるために、助け合わず、分かち合わず、孤独な人もいる。
(『さぁ、言おう』2005年5月号)
更新日:2005年9月16日
 璧な人は、いない。
 非難しようと思えば、非難することはいくらでも見つかる。
 一方、ほめようと思えば、ほめることはいくらでもある。
(『さぁ、言おう』2005年4月号)
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